「今のところ、僕の音楽には“不誠実さ”が足りない」 マーネ・フレームのつかみどころのない真剣さ

マーネ・フレーム
シドニーから数百キロ離れたオーストラリアのブッシュで生まれたフレームは、閉鎖直前に東京に移り住み、コロナ震災の4年間は東京から動けなかった。現在は彼は故郷である自然豊かなオーストラリアのブルー・マウンテンズに戻って活動している。

オーストラリア出身のマーネ・フレーム。サウンドの気持ちのいい酩酊感はコナン・モカシンやマック・デマルコを彷彿させるが、やぶれかぶれの発声は諦念というより、何かに向かって怒りを静かに抱えている印象もある。1月5日にベルリンのレーベル〈Monkeytown Records〉からリリースしたEP『I gave my legs to a snake』のリードトラック「WALK LIKE」を聴いた感想だ。

実は日本にも強いゆかりがあり、東京にも4年住んでいたことがある。その頃にはTohjiとのコラボレーション曲「SOMETIMES I TRY NOT TO CARE」をリリースしていた。また、自身のレーベルにAya Gloomyが所属する等、枠にとらわれず変幻自在に活動をしている印象を受けた。東京で過ごした後に、再び舞い戻った、大自然に囲まれたオーストラリアのニューサウスウェールズ州にある田舎町・カトゥーンバで何を思い、EPを完成させたのだろう。メールインタビューを試みたら、ふざけてるのになんか本気だ。まさに彼の音楽そのもののようなウィットに富んだ回答が返ってきた。

じっと座って何が起こるか見てみてる

ーーまずは自己紹介をお願いします。あなたの音楽的ルーツと音楽を始めたきっかけを教えていただけますか? 影響を受けたアーティストやシーンがあれば教えてください。

マーネ・フレーム(以下、マーネ):名前はマーネ・フレーム。母親が僕を産んだばかりの頃はまだ若く、フォーク・フェスティバルに連れてきてもらったんだ。僕はブッシュで育ち、ドラムをたくさん叩いた。

いつかフィンランドで演奏できることを本当に願っている。そうすれば、ドラムをどれだけ叩いても一度も文句を言わなかったフィンランド人の隣人、ペンッティとアイリにこのEPを捧げることができるだろう。マックス・ロカタンスキー(映画『マッドマックス』シリーズ主人公)に触発されて自分の音楽を作るようになったんだけど、最近はマーク・バレンシア(出典不明)やチャールズ・ダウディング(イギリスの園芸家と思われる)に触発されているんだ。

ーーマック・デマルコやコナン・モカシンを彷彿とさせるダウナーで酔わせる曲が魅力的ですが、どのようなルーツからこのような曲が生まれたのでしょうか?

マーネ:聴いたことがないアーティストだね。チェックしてみるよ。本当はもっと他のアーティストの楽曲をパクリたいんだけど、それを実行するだけの注意力がないんだ。だからただじっと座って、何が起こるかみてるんだ。いつかお金持ちになったら、彼等にお金を払って曲を書いてもらうよ。ただね、今のところ、僕の音楽には「不誠実さ」が足りないと純粋に思っているよ。

「FLAWED」Mahne Frame

ーーあなたは日本の音と美学に焦点を当てたレーベル〈21 N FUN〉を運営していますね。このインスピレーションはどこから来ているのですか?

マーネ:〈21 N FUN〉は創作活動の場かな。グラフィックデザインやファッション、それから映像制作に集中していて、レコードレーベルとしても機能している。レーベルとしてリリースしているアーティストの1人に、日本人のAya Gloomyがたまたまたいるけれど、それ以外は特に日本のサウンドや美学的なアイデアにフォーカスしているわけではないよ。音楽的には誠実さに重点を置き、美学的にはサッカーの共同体意識に大きな影響を受けてるかな。

Manne Frame「21 N FUN」

ーー日本にはどのくらい住んでいたのでしょうか? 滞在中に特に感動したこと、印象に残ったこと、印象に残った出来事などがあれば教えてください。

マーネ:日本には4年程住んでいたよ。ウーバーイーツで1000回くらい配達したり、結婚したり、いろいろなことをしたんだ。そうそう、日本にはオーストラリアでは手に入らないおいしい野菜がめちゃくちゃあるんだよな。オーストラリアとの野菜市場のギャップにはつくづく驚かされたよ。

ーー2020年に「SOMETIMES I TRY NOT TO CAREfeat.Tohji)」でコラボしたことで、日本のシーンとの接点は感じましたか?

マーネ:Tohjiの「Propella」や「Oreo」。古い曲だと「Snowboarding」といったダークな音楽がめちゃくちゃ好きなんだ。「SOMETIMES I TRY NOT TO CARE」のトラックを作った後、そうしたエネルギーやつながりがとても必要だと気付かされた。その頃、東京からの親友のヌガがロンドンにいて、Tohjiが彼をフォローしているのを見たから、Tohjiと本当に知り合いかどうか連絡を取ってみたんだ。その数秒後、ヌガからメッセージが返ってきたんだけど、彼等はその時会ったばかりで、ロンドンのレストランで隣り合って座っていたから、ショックを受けたよ。運命的なものを感じた。だからTohjiは「Snowboarding」のボーカルをサンプリングとして使うのを許可してくれたんじゃないかな。

ーー日本での活動を終えてオーストラリアに戻ってから、自身の曲作りに変化はありましたか?

マーネ:僕は日本とオーストラリアをあまり意識していない。このプロジェクトを始めた時にたまたま日本にいたけれど、結局自分はオーストラリア人なんだ。日本には僕のギターが1本もなかったので、目の前に戻ってきた今、自然とギターを弾き始めた。そういうことなんだよ。

ーー特に「WALK LIKE」のミュージックビデオは、オーストラリアの広大な景色を背景に撮影されてましたが、日本の六畳一間の音のように感じられ、個人的にはおもしろい趣向でした。このアイデアはどこから?

マーネ:「WALK LIKE」は、僕が育った今住んでいる地元周辺で撮影したんだ。レコーディングもここで行ったから、もっと茂みの中のレンガ造りの家のように聴こえるはずだ。でも、もしかしたら僕は過去にとらわれているのかもしれない。

Mahne Frame「WALK LIKE」

ーー現在のカトゥーンバでの生活について教えてください。東京での生活を経て、どんな変化を感じましたか? また、ベルリンのレーベルと契約したことで、地理的な横断が起こっていますが、どう感じていますか?

マーネ:たくさんの野菜を育てながら、このプロジェクトに取り組んでるところ。野菜を育てる時間がもっとあればいいのだけど。2枚のアルバムの契約をしたから、まずはそれを終わらせた方がいいんだろうな。「今やらなかったら、もうチャンスはやってこない」みたいな感じだよ。もう自分は高齢だし、キャリアはまだEPしかないし……。

ーー日本のリスナーやファンにメッセージをお願いします。

マーネ:小さくてもいいから、自分が食べられるものを育ててください。東京だとベランダが狭い方が多いと思うけれど、室内でも育つ野菜があるから心配しないで大丈夫。例えば日本のねぎは簡単に始められます。有機農法で、さらにレベルアップしたいなら、ぼかし堆肥を試してみてください。僕は東京に住んでいた時にこれをやらなかったことを本当に後悔しているんだ!

Photography Zac Bayly
Special Thanks Monkeytown Records

author:

冨手公嘉

1988年生まれ。編集者、ライター。2015年からフリーランスで、企画・編集ディレクションや文筆業に従事。2020年2月よりドイツ・ベルリン在住。東京とベルリンの2拠点で活動する。WIRED JAPANでベルリンの連載「ベルリンへの誘惑」を担当。その他「Them」「i-D Japan」「Rolling Stone Japan」「Forbes Japan」などで執筆するほか、2020年末より文芸誌を標榜する『New Mondo』を創刊から携わる。 Instagram:@hiroyoshitomite HP:http://hiroyoshitomite.net/

この記事を共有