韓国の“手の味”と伝統的な発酵とは

韓国ドラマや映画では食事のシーンが多く、にぎやかな雰囲気に魅せられる。韓国料理の定番といえばビビンパやチヂミ、サムギョプサルにトッポッキやホットクと韓国を旅行すると朝から晩までグルメに夢中になる人も多いだろう。

韓国人作家のキム・ビョラはK-BOOK読書ガイド『ちぇっくCHECK Vol.9』(K-BOOK振興会)に寄せたエッセイ『食べる』で、「中国人は舌で味わい、日本人は目で味わい、韓国人は腹で味わうという言葉が昔からある」とそれぞれの国の食文化を振り返り「韓国人の食事は、舌ではなく心で味わってこその美食だ」と結んでいる。腹と心で味わう料理として受け継がれてきた韓国料理だが、そのうまみの1つは伝統の発酵調味料“ジャン(醤)”であり、日本でも馴染みのあるコチュジャン、テンジャン(味噌)、カンジャン(醤油)等で知られる発酵食だ。

韓国の食と発酵技術を探るため、ソウルで「発酵」がテーマのカフェ「キュン(Qyun)」を運営する在韓26年の在日3世、きむ すひゃんのもとを訪ねた。

きむ すひゃん
東京生まれ、在韓26年の在日コリアン。韓国留学中から韓国文化を日本へ伝えるメディアコーディネーター、ライターを始め、企画編集者として韓国文化雑誌『スッカラ』を立ち上げた後、韓国食文化を専門に活動中。ソウルにファーマーズマーケット「マルシェ@」を立ち上げ、韓国の農家を通して韓国の食を新たに経験する過程で、韓国の草、発酵、豆文化、在来種などテーマの幅を広げ、現在は発酵食を中心としたカフェ「Qyun」を運営しながら、韓国の食文化を日韓へ発信している。『食べる旅 韓国むかしの味』『コウケンテツ 僕の大好きな、ソウルのおいしい店』他、コーディーネートした書籍も多数ある。
Instagram:@sukkara_seoul, @grocery_cafe_qyun

韓国の食文化から人々の生活の佇まいが見えてくる

−−テンジャンやカンジャンは、どちらも塩気が強めで豆のような香ばしさも感じます。まずは、発酵調味料のジャンについて教えてください。

きむ すひゃん(以下、きむ):ある学者が「朝鮮半島の食は、120パーセントが発酵食である」と述べているのですが、朝鮮半島のジャンの特徴は、主に大豆のみの発酵食品であること。作り方は、まず煮た大豆の塊に枯草菌等、多様な野生の菌を繁殖させたメジュと呼ばれる大豆麹を、ハンアリ(甕)に塩と水と共に入れます。甕は家の一番日当たりの良い場所へ置き、太陽の光、雨水、空気、風等、すべてを当てながら発酵させたものを漉した液体がカンジャン(朝鮮醤油)、漉して残った固体がテンジャン(朝鮮味噌)になります。発酵の過程で多様な野生の菌が混ざり合って生み出す複雑な味が特徴です。ジャンは欠かせない調味料です。ジャンは酵素の塊で、大豆のタンパク質が豊富に含まれています。

調理した野菜に味付けしたものを「スッチェ(熟菜)」と呼ぶのですが、野菜の栄養素を効率的に摂れるようにナムルはニンニクとネギ、ジャンを和えます。最後にゴマかエゴマの油を数滴垂らして、炒りごまの粉をかけます。野菜や油とジャンが絡まり合って、お互いのうまみを引き出します。

日本では、ナムルと聞くと和え物をイメージする方が多いですが、朝鮮半島でナムルは「食べられる植物の総称」を意味します。伝統的に野菜や草と発酵食をバランスよく組み合わせながら、必要な栄養素を効率よく取ってきました。例えば、よもぎや高麗人参を筆頭に、人に有益なすべての植物は食料として、そして韓方として医学的に活用されてきました。

−−韓国の寺や古宮の庭で、ずらりと並ぶ大きなハンアリ(甕)を見かけました。日本の発酵食品は冷暗所に置いて、できるだけ空気に触れないように作りますが、韓国ではハンアリを外に置き、中にはガラスのふたがついているものもありますね。材料や作り方にも違いがあるのでしょうか?

きむ:ハンアリの間から風が入るようにしたり、ふたをガラス製のものに変えて光を当てながら空気中のあらゆる菌が混ざるように作っていきます。朝鮮半島ではこれらを各家庭で作っていました。家庭ごとにそれぞれの家の菌や人の菌を駆使した麹文化があり、先祖を祭る儀式に自家製の発酵食品は欠かせませんでした。文献を見ると、 高句麗の時代から朝鮮半島のジャンの味には定評があり、高い発酵技術が評価されていたと記されていて、古くから菌を扱う技術や野生の菌でおいしいジャンを作れる気候的環境に恵まれていたことがわかります。

日本の味噌は、豆と塩、米や麦の麹を使いますが、朝鮮半島のジャンは、豆と塩、水で作ります。さらに日本では麹菌を使いますが、朝鮮半島では大豆を蒸した後に、叩いて空気が入らないように塊にしたら藁の上に敷いて、野生の多種多様な菌を使って熟成させてメジュ(大豆麹)を作ります。元は日本でも野生の菌を使っていましたが、朝鮮半島に比べて湿気が多く、温暖な気候では菌の管理が難しかったため、麹菌を培養して乾燥させた種麹を生産する業者「もやし屋」が管理していました。微生物の働きによる変化で、人間に有益なものを「発酵」、有害なものが「腐敗」と判断されているように、判断を間違うと人間の命に関わる危険があります。それぞれが国の気候風土に適した発酵を選んで発展してきたんですね。

基本的にはカンジャン、テンジャン共に大豆のみで作られ、多様な野生の菌と気候や気温といった自然環境によって独自の味が生まれます。日本の味噌汁は最後に味噌を溶き入れますが、朝鮮半島でテンジャン(味噌的なもの)を使ったスープを作る時は最初からテンジャンを入れてグツグツと煮込み、テンジャンに含まれている多様な味や風味を引き出します。カンジャンを使ったスープも同様で、ジャンの中にある味の多様性はある意味、それ自体が出汁としての役割を果たすわけです。和え物にカンジャン数滴を加えるのも、出汁を加えるようなイメージで野菜の味に深みを足します。

−−日本では多くの人が味噌や醤油をスーパーや醸造所から購入しています。韓国のジャンは現在も各家庭で作ることが主流なのでしょうか?

きむ:つい数十年前まで、私達の祖父母の世代までは家でジャンを作るのがあたりまえでしたが、住環境とライフスタイルの変化によって消えつつある文化になってしまいました。ジャンを作り続けている名人のハルモニ達によるジャンがブランド化され、買えるようになりました。同時に日本的な製法に近い工場生産のカンジャン、テンジャンが一般的になり、野生の菌で発酵する伝統的なものは朝鮮カンジャン、朝鮮テンジャンと区別して呼ばれています。今の韓国人の食生活には伝統的な野生菌のジャンと工場生産のジャンが共存しているわけです。

自家製にこだわる家庭もありますが減少傾向にあり、多くの飲食店でもそれは同じです。一方で富裕層の中には、ジャンを家政婦に作ってもらう人達もいます。日本の味噌や醤油は海外に流通し認知されている半面、朝鮮半島のジャンは一部の大手メーカーのものしか流通していません。その理由は、先述した野生菌を使っているからです。野生なので管理ができないために工場生産が難しく、手間がかかり効率も良くありません。

九州の麦味噌や愛知の八丁味噌等、一部を除いて日本の味噌の味わいには均一性があります。しかし、朝鮮半島のジャンは味の管理が難しいため、材料は同じでも家ごとに全く味が違います。それがおもしろさですが、幅が広いため1つに絞って代表的な味を伝えることは難しい。私のワークショップで初めてジャンを食べる人達には作り手の名前を伝えています。おいしいジャンは、不思議と共通して動物性タンパク質の味がします。これがあれば、化学調味料がなくてもうまみを補えるんですよ。

−−発酵の観点から、ジャンの他に注目している食材はありますか?

きむ:朝鮮半島原産の豆、特に大豆属の豆に大変な関心を持っています。朝鮮半島の発酵食の原点ではないかと思うほど種類が豊富なんです。昔、日本列島がアジア大陸の一部だったことから、日本原産の豆も多くありますが、朝鮮半島原産の品種はそれをはるかに超えます。原産地とは、最初にその植物が栽培・供給され始めた場所を指しますが、朝鮮半島における豆の歴史は大変古く、豆のナムルといったらコンナムルが有名で、家庭栽培野菜という独特な豆もやし文化は、長い冬の間、朝鮮半島の人々の命を支えてきました。

朝鮮半島特有の文化ですが、昔は寒い冬には野菜が作れず、北側や中国との国境辺りになると半年ぐらい、ソウルでも4ヵ月程度、1年で少なくとも4~6ヵ月くらいは全く野菜が採れないため植物への執着心がとても強いです。過酷な自然環境を生き抜き、ビタミンを摂取する方法として、保管期間が長くタンパク質も豊富なジャンはとても重要な栄養素でした。そういった点から、ジャンは人々が命がけで作り上げた大豆文化ともいえます。

−−野生の菌で作るジャンと、たっぷりの陽を浴びて自然の中で育った豆。朝鮮半島の豊かな食文化は家庭で発展し、受け継がれてきたのですね。

きむ:店の評価をする時に「あの店には“手の味(ソンマッ)”が感じられる」と表現するように、ナムルは手で直接和えることに意味があると言われ、伝統の味は祖先達の手によって育まれてきました。おいしい料理を作るための1番の道具は手で、今でもおばぁちゃん達は手を使って丁寧に作っています。野生の菌も混ぜて料理をしているとしたら「手の味」は、家の菌の味ともいえます。昔は素手でしたが、現在多くの飲食店ではグローブを着用して調理せざるを得ない状況なのが残念でなりませんね。

韓国料理を食べることは、人の手と温もりに出会うこと

−−発酵といえばお酒もありますが、どのような歴史がありますか?

きむ:朝鮮半島は日本の統治以前まで家で酒を造る家醸酒(カヤンジュ)の文化がありました。同時期に日本政府によって酒の製造が許可制になったため、各地域や家庭での醸造ができなくなりました。第2次世界大戦後まもなく朝鮮戦争が始まり、困窮したために、今度は韓国政府が米による酒造りを禁止しました。そういった時代の中で伝統的な酒造りは衰退していきました。

でも過去20〜30年の間に多くの方達の努力で、朝鮮半島の文化遺産として酒が注目を集めるようになりました。激動の時代をくぐり抜け、家内で秘かに受け継がれてきた貴重な醸す技術と知恵が受け継がれてきたおかげです。

−−多忙な現代も自宅で発酵食を作っているのでしょうか?

きむ:発酵食は再び注目されていますし、韓国では自家用の酒造りは合法であるため、コロナ禍ではマッコリ造りが大流行しました。世代で分けると、60〜70代以上は伝統的な発酵の技術を継承しており、家で醸す文化を大切にしています。40〜50代にはナムルや簡単な調理法は多少受け継がれているものの、キムチを漬ける等、醸す文化にはあまり馴染みがありません。朝鮮半島の親子関係は独特で60〜70代の親が30〜50代の子どもに料理を作っていることも珍しくないため、そういった環境が世代ごとの発酵食文化との関わり方に影響しているともいえるでしょう。

私は在日コリアンですから、朝鮮半島の発酵食文化を俯瞰することも、深掘りすることもできます。3世として家庭でも朝鮮半島の発酵食を経験して育ちましたが、韓国で暮らし始めて出会った朝鮮半島の発酵食の多様さとその奥行きを経験し、その素晴らしさに魅了されました。

その中で、朝鮮半島の女性達が持っている多様な発酵食の知恵や技術が消えてしまうのではないかという恐れを日々感じています。専門家は発酵文化の重要性を知っていますが、多くの人達にも気付いてもらえるように、発酵料理のカフェの運営や郷土料理の研究と復元、勉強会等の開催もしています。朝鮮半島特有の発酵がベースの“手の味”が失われてしまわないようにこれからも活動を続けていきます。

author:

NAO

スタイリスト、ライター、コーディネーター。スタイリスト・アシスタントを経て、独立。雑誌、広告、ミュージックビデオなどのスタイリング、コスチュームデザインを手掛ける。2006年にニューヨークに拠点を移し、翌年より米カルチャー誌FutureClawのコントリビューティング・エディター。2015年より企業のコーディネーター、リサーチャーとして東京とニューヨークを行き来しながら活動中。東京のクリエイティブ・エージェンシーS14所属。ライフワークは、縄文、江戸時代の研究。公式サイト

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