世界を魅了するノルウェーのプロダクトデザインの魅力 日本文化からの影響も

(左から)
森百合子
北欧ジャーナリスト、エッセイスト。北欧5カ国で取材を重ね、ガイドブックや旅エッセイ、インテリアやライフスタイルをテーマに執筆。著書には『3日でまわる北欧』シリーズ(トゥーヴァージンズ)、『北欧のおもてなし』(主婦の友社)、『日本で楽しむ わたしの北欧365日』(パイ インターナショナル)等がある。北欧ヴィンテージ食器とテキスタイルの店「Sticka」を運営している。
https://hokuobook.com/

青木順子
ノルウェー語講師、翻訳・通訳、講演会講師。ノルウェー国立ヴォルダカレッジ、オスロ大学に留学。2000年からノルウェーの情報提供を目的としたコミュニティー・サイト「ノルウェー夢ネット」を運営。著書に『テーマで学ぶノルウェー語』『ノルウェー語のしくみ<新版>』『ニューエクスプレスプラスノルウェー語』『「その他の外国文学」の翻訳者』など。訳書に『うちってやっぱりなんかへん?』『わたしの糸』等がある。

シモンフッデレ
デザインスタジオ/出版社 trykkSAK 代表。グラフィックデザイナーとしてアートやデザインにまつわる本の制作を中心に手掛ける。特に本を通じて、現在の社会問題や政治問題について考えさせる機会を増やすのがゴール。陶芸の地としても知られるノルウェーのスタヴァンゲル郊外に事務所を構える。
https://trykksakforlag.no/

トゥーリ・グラムスタッド・オリヴェール(以下、トゥーリ)は、ミッドセンチュリーの時代から活躍してきたノルウェーを代表するアーティストだ。昨夏ノルウェーで、トゥーリが生涯で創作してきた500以上のイラストや写真のアーカイヴ、創作活動を共にした仲間達達とのエピソードや私生活までを綴ったデザイン集『turi』が発売された。著者は、作家兼美術史家のトルン・ラーセン。

11月に同書のデザインを手掛けたノルウェーのデザインスタジオ兼出版社「trykkSAK」の代表、フッデレとシモンが来日し、北欧ジャーナリストの森百合子がオーナーの北欧雑貨店「Sticka」 でトークイベント「可愛いノルウェーへようこそ ~世界を魅了する北欧デザイン、turiの世界」を開催した。通訳、聞き役として、ノルウェー語の翻訳家の青木順子も登壇した。

評判の代表作の裏側にある知られざる苦悩

デザイン集『turi』は、フッデレとシモンが5年かけて膨大な作品や写真を厳選し、当時の話や語られることのなかった葛藤を聞きながらまとめたものだ。あと数冊を出版する計画もあるというほど、人生のエピソードが豊富な作家でもある。

同イベントではトゥーリの社内デザイナー時代まで遡り、その歴史から紐解かれた。ノルウェー南西部のフィッギオにある老舗陶器メーカー「フィッギオ」の代表作である『ロッテ』はトゥーリがデザインを手掛け、1962年の販売後にノルウェー国外でも高く評価され、20年以上ものロングセラーとなった。人気の理由は、物語の1編を感じさせるような愛らしい少女や植物が描かれたデザインにあるのだが、意図的にストーリー性を落とし込んだのではないという。そのエピソードとして、発売当時に熱心なファンから「『ロッテ』にはどのような物語があるのか?」という手紙が「フィッギオ」に届いた時、トゥーリは「物語を綴っているのではなく鳥や花に溢れた夢のような場所を想像して、リラックスしてほしいという思いがあった」と返信したという。

『ロッテ』の海外輸出が本格的に始まった後は、日本やカナダ等、一気に国外での知名度を得た。世界的にブランドが広がる一方、トゥーリは売り上げ優先のブランディングとの葛藤で1975年に「フィッギオ」を去る。人気シリーズの『エルヴィラ』は営業部の反対を押し切って試作品を販売し売上は好調だったものの、社内評価は低かったという。

そもそも、当時のノルウェーにおいて工芸品は美術としての評価は高くなかったが、トゥーリは手工芸品の制作を続けた。「フィッギオ」退社後は地元のアーティスト達と関わりながら、手工芸品の価値向上を目指して多くの作品を制作した。結果、自宅のスタジオで制作したテキスタイルは工芸品として認められた。

また、トゥーリは陶芸家や教師達とともに、フェミニストとして精力的に活動した。同書によれば、ノルウェーの南西部に位置するサンネスは、この活動で多くのフェミニストが誕生した街として知られる。1915年に設立された世界で最も古い女性の平和団体、婦人国際平和自由連盟(Women’s International League for Peace and Freedom, WILPF)のサンドネス支部には、トゥーリが作った「平和の解放(release a peace)」が掲げられている。

日本の民藝との出会い

1978年に初来日したトゥーリは、23人のノルウェー人アーティストとともに、京都で開催された世界クラフト会議・京都国際大会(World Crafts Council)に参加した。同大会には、世界各国から2,400人の専門家とともに25,400の工芸品の展示やセミナー、ワークショップが行われた。当時のトゥーリの日記には、2,000人が参加した庭園パーティのことや陶芸家達と訪れた滋賀県・信楽陶芸村で2トンの粘土とともに歓迎されたこと等が記されている。

来日の一番の楽しみは、日本の民藝運動を担った重要人物の1人、濱田庄司の益子の窯を訪れることだった。工房内の見学許可は下りていなかったものの、濱田の息子がトゥーリ達の手が“陶芸家の手をしている”ことで見学を許されたという。トゥーリにとって、日本の旅で感化されたものは焼物だけではなく、自然への敬意、実用性を踏まえた日本の伝統工芸と職人技にまで及んだ。

この旅で得たインスピレーションが元となり、タペストリー作品「私の日本庭園(Minejapans Bager)」が生まれ、日本をテーマにしたテキスタイルのデザインも行っている。さらには、芸術家の河井寛次郎の自宅を訪問した際に、英字書『We Do Not Work Alone』の詩的な人生観に触発され、自身も「美とは何か でも喜びが見つかった すべての人生の中で(What is beauty But joy found In all of life)」という詩を残しているほどだ。

『turi』制作中の思い出とトゥーリの日本での評価

「trykkSAK」は「『turi』の制作を通して、トゥーリが女性として、デザイナーとして多くの試練を経験したもかかわらず、作り上げるデザインにはそれが見えず楽しい世界が描かれている点にプロ意識の高さを感じた」と語った。トゥーリの創作意欲は現在も衰えず、絵を描くことはやめず、ノルウェー国立博物館で開催したルイーズ・ブルジョワの大展覧会のために「オスロへ行く」と話していたそうだ。さらに制作中の忘れられないエピソードとして、訪れたトゥーリ家では、チャイムが鳴り止まないほど、常に来客があったことを挙げた。彼女の人と会うことが大好きな性格やどんなに苦しくても人を楽しませ、明るい気持ちにさせる社交性がデザインに反映されているのかもしれない。

青木はデザイン集の出版が今回初ということにも驚きつつ、首都のオスロではなく、郊外のサンネスで活動を続けたこととインターネットがない時代にグローバルに活動していた功績を讃えた。また、ノルウェー絵本の翻訳を多く手掛ける青木にとって、ノルウェーと日本とでかわいいと捉えられる絵が異なり、絵本の魅力を日本の読者に伝えることに苦労した経験を交え、日本でも愛されるトゥーリのデザイン性の高さを評価した。

『turi』に寄稿している森は、自身もトゥーリ作品の愛用者で「Sticka」には、祖母や母の代から『ロッテ』を使っているという顧客がたびたび来店しているという。ジャーナリストとして、ヴィンテージアイテムのバイヤーとして、長年北欧を訪れている経験からも「トゥーリの作品は特別な存在」という。その理由は「ノルウェーのデザインは日本ではまだあまり知られていないが、トゥーリの作品に興味を持つ顧客は多く、トゥーリをきっかけに北欧デザインやヴィンテージ製品に興味を持つ人がいる」からだ。「一般的には北欧デザインといえばモダンな家具やシンプルなインテリアをイメージする人も多いが、トゥーリが生み出した自由で、自然に囲まれた愛らしい世界観もまた、日本の人々が思い描く北欧のイメージと重なるのかもしれない」と締めくくった。

author:

NAO

スタイリスト、ライター、コーディネーター。スタイリスト・アシスタントを経て、独立。雑誌、広告、ミュージックビデオなどのスタイリング、コスチュームデザインを手掛ける。2006年にニューヨークに拠点を移し、翌年より米カルチャー誌FutureClawのコントリビューティング・エディター。2015年より企業のコーディネーター、リサーチャーとして東京とニューヨークを行き来しながら活動中。東京のクリエイティブ・エージェンシーS14所属。ライフワークは、縄文、江戸時代の研究。公式サイト

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