連載「Books that feel Japanese -日本らしさを感じる本」Vol.14 宮地健太郎が選ぶ、日本文化に立ち返るための2冊

宮地健太郎
1998年、仲間達と千駄木に「古書ほうろう」をオープン。2010年より夫婦での経営となり、2019年池之端に移転し現在に至る。店には古本だけでなく、レコードやCD、鉄道の硬券の他、妻の焙煎する珈琲豆も並んでいる。

国内外さまざまあるジャンルの本から垣間見ることができる日本らしさとは何か? その“らしさ”を感じる1冊を、インディペンデント書店のディレクターに選んでもらい、あらゆる観点から紐解いていく本連載。

今回は、台東区池之端にある古書店「古書ほうろう」の宮地健太郎にインタヴュー。古くからの本好きから愛され続ける「古書ほうろう」による、なんともユニークな選書を楽しんでほしい。

『町 高梨豊 写真集』
『花開く江戸の園芸』

今も路地裏に見える、日本的な光景

−−まずは、選んでいただいた2冊『町 高梨豊 写真集』と『花開く江戸の園芸』について、教えてください。

宮地健太郎(以下、宮地):実は今回お声がけいただくまで、日本らしさについてことさら考えたことはなかったんですが、思案するうち浮かんできたのが「植木鉢」でした。毎日自転車で通勤している根津や千駄木の裏道の、道端のそこここに置かれている植木鉢。それぞれのお宅が、好き勝手に鉢を並べている光景こそが「日本的」なのかもって。そこで思い出したのが、1977年に出た高梨豊さんのこの写真集です。ご覧の通り、当時すでに消えつつあった東京の建物や暮らしぶりが主題なんですけど、路地裏や土間の植木鉢もたびたび出てきて。「ガーデニング」なんて言葉を使うと消え失せてしまう、より切実で、日々の生活と分かちがたく結びついた、緑を求める心のようなものを強く感じます。

−−店の前に飾られた朝顔も、そんなイメージなのでしょうか?

宮地:外の朝顔は、一緒にこの店を営んでいる妻が、この夏初めて植えたものです。最初は1鉢だけだったのですが、ある日出勤したら、もう1鉢、どなたかが足してくださっていて(笑)。店の両側に並ぶことになりました。交代で水やりするようになったことで「今日はつぼみが少し開いているから明日はきっと咲くな」とか、「元気がないな」「心配だな」とか、確実に毎日の張りになっていて、それが今回、路地裏の植木鉢を思い浮かべるきっかけになったのかもしれません。みなさんこういう気持ちなんだろうなって。

−−次に、『花開く江戸の園芸』についてはいかがでしょうか?

宮地:高梨さんの写真集を眺めていた時「植木鉢だったら、もう1冊、とっておきのが!」と思い出しました。2013年に江戸東京博物館で開催された展示の図録で、「江戸の人々はいかにして植物を愛でるようになったのか」が、浮世絵を中心とした豊富な図版とともに紹介されています。ヨーロッパでは上流階級の嗜みであった園芸が、近世の日本では庶民を巻き込み広がっていくんですけど、その出発点には、ソメイヨシノで名高い染井の、ある植木職人が記した1冊の入門書があり、そこから植木鉢が爆発的に普及していったというくだりで「おおお!」となりました。登場する植木鉢を今回数えてみたら、なんと892鉢もあって。間違いなく、世界一植木鉢が載っている画集だと思います(笑)。あと、以前店があった千駄木のことも、染井と並ぶ植木屋の本拠として触れられていて。漱石の『三四郎』に団子坂の菊人形が出てきますよね、あの辺りがまさにそうです。

『和訳 聊斎志異』

日本語を工夫して、中国語を紐解く

−−次は、『和訳 聊斎志異』について、教えてください。

宮地:日本らしさって何だろう? と考えて、もう1つ浮かんだのが漢字だったんです。もちろん漢字の起源は中国なんですけど、台湾以外では記号のようなものに成り果ててるじゃないですか。なのでもはや「漢字=日本的」でいいんじゃないかって。で、そんな象形文字としての漢字の魅力をたっぷり味わえる1冊ということで、大好きなこの本を選びました。

『聊斎志異(りょうさいしい)』という書物は清の時代の怪異小説です。科挙に落ち続け、故郷の山東省で世を拗ねながら生きた蒲松齢が、道端で旅行く人に声をかけてはおもしろい話を収集し、それらを元に約500編から成る作品を書き上げました。その多くは、美女に化けた幽霊や狐狸が下界の男達と繰り広げる艶めかしくも不思議な物語で。日本にも早くから伝わり、数多くの翻訳や翻案があるのですが、中でもこの柴田天馬さんの訳は唯一無二のものとして、世に出て100年以上経った今もとても人気があります。

−−人気の理由は、どのようなことなのでしょうか?

宮地:一言で言うと、ルビ使いです。柴田さんは翻訳にあたって「原文の漢字を可能な限り残す」という方針で臨むのですが、その上でなおかつ日本語として成立させるためにルビを振りまくっていて。それがとてもユニークなんです。例えば、今開いたこのページ、菊の精の話なんですけど、こんな感じです。

「因(そこで)、与(いっしょ)に芸菊之法(きくのつくりかた)を論(はな)しあった」

読み進めていくと、以口腹(たべもの)、目所未睹(みたことのないもの)、家中触類(いえじゅうのもの)、千載下人(のちのよのひと)など、普通に日本語に置き換えるとこぼれ落ちてしまうニュアンスが各々の漢字に宿っていて、いちいち興奮しちゃうんですよね。

あと、こういう意味を補うルビとは別の、ぱっと見よくわからないルビもあって。このページだと、中表親(いとこ)がそうなんですけど、蒲松齢という人の根っこには「俺はこんなに頭がいいのになぜ試験に受からない」という恨みつらみがあって、「俺にはこんなに学問があるぞ」とばかりに古い書物からの引用が散りばめられているんですよ。もちろんその多くは自分にはピンとは来ないのですが、その気になって掘ればずっと深いところまでいけるというわくわく感があって。読んでも読んでも発見があります。

Photography Masashi Ura
Text Nozomu Miura
Edit Dai Watarai(Mo-Green)

author:

mo-green

編集力・デザイン思考をベースに、さまざまなメディアのクリエイティブディレクションを通じて「世界中の伝えたいを伝える」クリエイティブカンパニー。 mo-green Instagram

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