音楽連載「あの時のことや、その時の音」第2回ゲスト:高橋アフィ(ミュージシャン)

日々新しい楽曲が生まれ続け、ジャンルの細分化にもますます拍車がかかりゆくこの現在。未知の音楽と出会うことそれ自体はすごく簡単ではあるけれど、何かしらの指針なくしては「自分のための音楽」と感じられる1曲・1枚に出会うことは、むしろ難しくなっている。そこで頼りにしたいのが、信頼に足るミュージックラバー達の感性と経験に裏付けられた目利き力。本連載では、音楽を愛してやまないクリエイターや文化人達をゲストに招き、自身の近況と、その時の気分にそくした音楽を紹介してもらう。

第2回に登場してもらうのは、多種多彩なジャンルを内包するモダンなサウンドを奏でる国内オルタナティヴ・バンド、TAMTAMのドラムとプログラミングを務める高橋アフィ。屈指の音楽ディガーとしても知られる同氏が、コロナ禍を契機として生じた嗜好性の変化や気付き、新しい音楽に求めるもの、そしてローファイ・サウンドのオルタナティヴな可能性を感じさせてくれる3作品について、話を聞かせてくれた。

“録音物”としての音楽作品をより好むようになった

コロナ禍になってからというもの、ライヴハウスやクラブに行く機会が劇的に少なくなり、家で音楽を聴く時間が圧倒的に多くなりました。そのことは、音楽作品を聴く時のイメージや嗜好性にとても大きな影響を与えたと思います。それまでは、“ライヴを再現したもの”というか、“パフォーマンスを圧縮したもの”として音楽を聴くことが多かったし、そういった方向性の作品を好んで聴いていました。だけど、こういう状況になって、“ライヴらしさ”みたいなことが体感としてしっくりこなくなったところがあって。“録音物であること”や“スピーカーから鳴らされること”を明確に意識して制作された作品を、より一層おもしろいと感じるようになったんです。宅録作品やアンビエント、エレクトロニックミュージックなど、ライヴ前提で作られているわけではない音楽が、自分の中で以前よりも聴きやすくなりましたね。

ただ、その変化は必ずしもコロナ禍だけが原因で生じたというものでもないかもしれません。昨年5月にリリースした、TAMTAMの最新作『We Are the Sun!』は、まさにその“ライヴらしさ”というか、“ライヴの密度を音源にどう詰め込むか”ということを意識して制作した作品だったんです。そう思うに至った大きなきっかけの1つは、2019年に行ったカナダツアーですね。現地のプロモーターが企画した日本のインディバンドのショーケース的なツアーだったので、自分たちの曲を初めて聴く人達がほとんどだったんです。なので、その瞬間瞬間に鳴るライヴの音で勝負していく必要がありました。その時に改めて、ライヴの醍醐味――ステージと客席、演者と観客のエネルギーの相互作用――を実感して、そこで掴んだ手応えを作品に反映させたかったんです。そんな風にして、一度その“ライヴらしさ”という方向性を突き詰めて作品を完成させたからこそ、逆のベクトルに関心が向かったというところもあるとは思います。

TAMTAM『We Are the Sun!』
TAMTAM – Worksong! Feat.鎮座DOPENESS

新しい音楽に期待しているのは、オルタナティヴな価値観の提示

僕が新しい音楽を聴く時に期待しているのは、今“かっこいい”とされていたり、主流となっているものとは異なる価値基準を示してくれることなんです。それは、高校生の頃、初めて音響派や弱音系などの音楽を聴いた時の衝撃が原体験になっています。それらのジャンルの作品を聴いたことによって、メロディやコード進行、歌詞ではなく、音色や音の響きといった側面から音楽を楽しむという、それまでとは異なる聴き方ができるようになったんです。そういう意味で、僕は“洗練された音楽”にはあまり惹かれません。例えば、ジャズから R&Bやヒップホップの要素を融合させた音楽のおもしろさ は、ロバート・グラスパーたちが切り拓いた瞬間の衝撃だと思っていて、その後に彼らが作った価値基準やフォーマットのまま品質を上げても、その衝撃はありません。僕が惹かれるのは、既存のものとは異なる独自の価値観のおもしろさを伝えようとしているような音楽なんです。

この後に紹介する3作品は、“ローファイな録音にこだわった作品”というテーマで魅力を感じた作品を選盤しました。 (プレイヤーとして)演奏の魅力を前面に押し出すことと、録音物として“ライヴらしさ”とは異なる音像をスピーカーから鳴らすということ。それを両立させるための一つの解決策というか、新しい可能性を感じさせてくれるサウンドに興味を惹かれました。TAMTAMでも、今の時代や環境をふまえながら、次のサウンドを模索していきたいと思っています。

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*この下に記事が続きます

“ローファイ”のオルタナティヴな可能性を感じさせてくれる3作品

Nick Hakim『WILL THIS MAKE ME GOOD』

もともと質感には非常にこだわるアーティストでしたが、セカンドアルバムになって、より実験的なサウンドアプローチがされています。全体的に音割れ寸前のようなコンピーなノイズまみれの音で、かつ録音環境が多様というか、歌や楽器の距離が近づいたり離れたりバラバラ。そのローファイで混沌とした音像の中、フォークやサイケ、R&B的なメロディの美しさが際立つ、全体的にはむしろチルアウト的な不思議なアルバムです。カオスな音色に対し、リズムは一貫してタイトに作ってあったりして、ギリギリポップにまとめ上げるそのバランス感もおもしろいですね。そして何より興味深いのは、これが高品質なプロダクションからではなく、宅録的な親密さで作られているということ。マイクに部屋の空気まで入りこんだような“近い音”をどうやって録るか、そしてそれをどうやってスピーカーから鳴らすか。エフェクティブながら基本的には録音のローファイさを拡大したような音像、そんなチャレンジから生まれたマジックのようなサウンドだと思います。ローファイという概念を別の次元に持っていっている作品ですね。

Sault『UNTITLED (Black Is)』

正体不明の覆面トリオが、昨年に“ブラック・ライヴズ・マター”運動が大きな広がりをみせたタイミングにリリースした3作目のアルバムです。ローファイなんですけど、いわゆる「ローファイ・ヒップホップ」のような柔らかさや懐かしさでは全くありません。攻撃性の高いサウンド、ポストパンクやガレージとかに近いざらついた演奏が並んでいます。そんなサウンドの中にソウルやR&Bの歌心や、ヒップホップ的なエディット感が入るのも新鮮で。ローファイなサウンドの攻撃性と、ブラック・ライヴズ・マターをめぐるメッセージ性。その2つががきれいに噛み合って作品としての強度を生んでいるところが非常に感動的でした。

HUMAN ERROR CLUB 『HUMAN ERROR CLUB』

鍵盤奏者2人とドラマー1人によるトリオ編成のジャズバンドの初作品です。これはローファイというか、純粋にとにかく音が悪いんですよ(笑)。レコーダーで音が割れまくっているけれど気にせずひたすら演奏し続けている雰囲気というか、すごい適当に録っている感じなんですけど、だからこそ小さな空間で行われた奇跡の瞬間を切り取ったような独特の質感があるというか……。軸はジャズにあると思うんですが、激しく切り替わるビートの感覚や程よいチープ感のシンセなどの音は、ミックステープやエクスペリメンタルとも近いモダンな実験性があっておもしろかったです。

Edit Takahiro Fujikawa

author:

高橋アフィ

東京を中心に活動するオルタナティヴ・バンド、TAMTAMのドラム・プログラミングを担当。個人として、他アーティストのサポートや楽曲アレンジ、文章の執筆やDJも行う。 Twitter:@Tomokuti

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