連載「時の音」Vol.12 写真家・上田義彦が映画で伝えたい「真実はすぐそばにしかない」理由

その時々だからこそ生まれ、同時に時代を超えて愛される価値観がある。本連載「時の音」では、そんな価値観を発信する人達に、今までの活動を振り返りつつ、未来を見据えて話をしてもらう。

今回はサントリーや資生堂、TOYOTAなど数多くの広告写真を手掛けてきた写真家・上田義彦が登場する。常にアナログのフィルムにこだわり、二度とない移ろいゆく瞬間を写真に収めてきた上田による、自身初の長編映画「椿の庭」が4月9日に公開される。1年かけて作られた同作は、富司純子が演じる絹子とシム・ウンギョンが演じる渚を中心に、それぞれの感情が紡ぐ“生と記憶”の物語だ。春夏秋冬を通して描き出されるゆったりとした時間描写と美しい映像とともに、つい見落としがちな“生”や“記憶”の断片にフォーカスすることで、日常に転がっている真実を浮かび上がらせる。上田が同作で伝えたかった、真実の意味をインタビューから紐解く。

©2020 “A Garden of Camellias” Film Partners
4月9日より、シネスイッチ銀座他全国順次ロードショー

キャラクターの感情を最優先した言葉選び

――映画制作のきっかけは、犬の散歩をしていた時にお気に入りの家がなくなっていて、そういった日常の小さな喪失感を書き留めたところからスタートしたとのことでした。作中の金魚の墓から椿が咲き、ラストの空に虹がかかっている描写は、喪失感もありましたが、あらゆる事実は継承されて、未来につながっていくような印象も受けました。制作で“未来”を意識したことはありましたか?

上田義彦(以下、上田):未来というか我々の暮らしは、過去から現在に続いていて、そしてその先へとつながっています。映画ではそれを自然に表現できたらと。この頃は少し先のことも予測不可能に思えるような状況ですが、未来はますます不確実なものという意識が強くなってきましたね。そんな中で、自分が若かった頃のように肯定的な未来を素直には想い描けなくなっているのも事実です。そんな意識が映画にも表れているのかもしれません。

――「椿の庭」は登場人物も少なく言葉もそう多くない。丁寧に撮られた映像は繊細で時間の流れや人物の感情変化、セリフなどに目がいきました。脚本も手掛けられましたが、セリフや言葉はどのように考えられましたか?

上田:物語で重要なセリフは映画を撮りながら、自然に湧き上がって来たように思います。だから、そのように脚本のセリフも変えていきました。セリフが夢に出てくることもありました。たぶん、ずっと考えていたからだと思います。朝方、パッと起きた時に言葉が浮かんできて、それを書き留める作業が結構ありました。寝ているつもりでいて、眠っていないような不思議な状態にあったのかもしれない。元の脚本でもそれに近い言葉であったけれども、彼女達の言葉ではないというか、心から出た言葉にはなっていないと感じていたんでしょうね。

――ドキュメンタリーでなければ、時系列が前後する中で、シーンによって脚本の書き換えは苦労されたんじゃないでしょうか?

上田:この作品は1年かけて時系列で撮り進めてゆきました。そうすると物語が終盤に差し掛かるにつれて、絹子の体力が衰えてきたり、家の存続の悩みも口に出さず、噛み殺している時の言葉は、その時々の感情によって吐き出されるものですから当初と変わってくるのは当然。落ち葉を掃除するシーンで渚が言った「今日掃いても、明日また落ち葉は降ってくる」というセリフや、詩の朗読なんかもそうですね。

――落ち葉を掃除するシーンの2人のやり取りは後半の印象的な言葉で、絹子と渚のわずかな感情の行き違いを感じましたし、渚が読む与謝野晶子の「歌はどうして作る」が印象に残っています。なぜ詩を入れたのか、また選定した理由を教えていただけますか?

上田:もともと与謝野晶子の詩が好きで、まさに写真に対して感じることと同じで、ものの見方というか感じ方という。この詩は若い頃に読んだ詩です。情景まで思い浮かべながら。

歌はどうして作る。
じっと観(み)、
じっと愛し、
じっと抱きしめて作る。
「真実」を。
「真実」は何処に在る。
最も近くに在る。
いつも自分と一所に……
いつも
自分と一所に……

という一節が特に気に入っていました。真実は自分のすぐ側にしかないということなんですが、そこに焦点を合わせたかった。

例えば、今蝶が羽をゆっくりと動かしているのを見ているとしたら、そこにしか真実はない。普段忘れがちな一番近くのものを見ずに、感じずに、意識がその先にあったり、過去に向いていたり。僕自身も含め多くの人が今まさに自分が存在しているこの場とか、時間にフォーカスできているのか、実は、していないのかもしれないということを渚の読む詩を通じてメッセージしたかった。そう実感することは難しいですが、それができたら幸せなんじゃないでしょうか。

自分が撮ったら何が映るんだろうという興味

――写真は一瞬を写すもの、映像はいくつもの素材を編集して作るもの。写真家として映画を撮ったことで被写体との向き合い方に変化はありましたか? 

上田:あまりないと思います。僕はポートレイトが好きで、人間だけではなくて、風景も森林も同じように向き合っていて、自分が受けて相手に返す行為、そういう運動のようなものです。昔、アンディ・ウォーホルとかロバート・メイプルソープとか、自分より年もキャリアも上の人達と対峙するという経験をして、恐ろしさ、喜びとそこで行き来ができているのか? という不安や葛藤、恐怖も苛立ちもあったかな。普通に生活している何百倍もやり取りをしている感覚があります。

だとしたら、そんな自分が映画を撮ったら何が映るんだろうという興味、それはありました。いろいろな映画監督がいるから、自分がわざわざ撮らなくてもいいだろうとも思いましたが、僕からしか生まれないものもあるだろうとも。でも、もしかしたら未経験の映像がひょいと出てくるかもしれない。

――誰かに影響を受けたり、そもそも映画を撮ろうと臨んだわけではなかったんですね。

上田:一度は撮ってみたいというモチベーションではなくて、自分が撮ったらどんなものが出てきて、どう感じるんだろうという興味です。1つ1つの思いだけが存在していて、それを拾い集めていったらできあがったという感覚です。

――渚が金魚をすくいあげる一連のシーンもそうですが、特にアウトフォーカスしてぼかすような映像が際立っていました。上田さんの作品でもぼかすことで被写体そのものの輪郭を際立たせることもあると思うのですが、美しい写真を見ているような感覚もありました。

上田:アウトフォーカスさせるのは、現実の目の前にある事物のディティールや形にフォーカスしていたものを、その奥にある記憶の色彩や存在の輪郭に思いをはせる行為です。記憶の奥底にある原型を炙り出すように。

「自分の近くにある、すぐそばにある真実に気付けるかどうか」

――最初に未来についてお聞きしたことも、このシーンで感じたことでもあります。昔からあったものが壊されて、新しいものに変わる。最近の東京の都市計画と重なりました。でも、ポジティブにもネガティブにもただそこに存在していて、それが日常であり真実だと。

上田:そうですね。写真は過去を撮ることはできないし、未来を撮ることもできないですから。写真を撮るのは“今”ですよね。日常と言うと、言葉自体が持つ“ありきたり”や“見慣れた”という意味が1人歩きしてしまいますが、実は日常と呼ばれている、二度と立ち会うことが無い今という奇跡の時間。そこに在る真実を撮ることができるのが写真です。素晴らしい写真はほとんどそうですね。その瞬間に気付けるか、気付けないのかですべて決まります。気付ければ、この世界の真実に一歩近づくことができる。要するに自分の近くにある、すぐそばにある真実に気付けるかどうか。

――ありきたりな質問なんですが、ポストコロナの世界で上田さんが表現したいことを、映像や写真も含めて教えていただけますでしょうか?

上田:難しいですね。あらゆる制限の中で普段、やりたいことの1/10もできない状況であっても、これも経験としてありなのかなとか思いますし。人間以外の世界は普段と何も変わらない、ただ人間の世界の見方、感じ方が変わっただけ。いつも通り桜は咲くけど、桜を見る側の人の感情が変わった。一昨年とは違った桜の見方をしているとは思います。だからすべてがポジティブでもネガティブでも、今続いている日常がすべてなんだと思います。

上田義彦
1957 年生まれ、兵庫県出身。写真家。福田匡伸・有田泰而に師事。1982 年に写真家として独立して以来、ポートレートや静物、風景、建築、パフォーマンスなど、カテゴリーを越えた作品は国内外で高い評価を得る。また、広告写真も数多く手掛け、東京ADC 賞最高賞、ニューヨークADC賞、カンヌグラフィック銀賞はじめ、国内外のさまざまな賞を受賞。独立当初から作家活動を継続し、2020年までに38冊の写真集を刊行している。近著に『FOREST 印象と記憶 1989-2017』、『林檎の木』など。2011年、Gallery 916 を主宰し、写真展企画、 展示、写真集の出版をプロデュース。2014 年には日本写真協会作家賞を受賞。

Photography Kentaro Oshio

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author:

芦澤純

1981年生まれ。大学卒業後、編集プロダクションで出版社のカルチャーコンテンツやファッションカタログの制作に従事。数年の海外放浪の後、2011年にINFASパブリケーションズに入社。2015年に復刊したカルチャー誌「スタジオ・ボイス」ではマネジングエディターとしてVol.406「YOUTH OF TODAY」~Vol.410「VS」までを担当。その後、「WWDジャパン」「WWD JAPAN.com」のシニアエディターとして主にメンズコレクションを担当し、ロンドンをはじめ、ピッティやミラノ、パリなどの海外コレクションを取材した。2020年7月から「TOKION」エディトリアルディレクター。

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