村上春樹から料理本まで、ドイツを代表するイラストレーター、カット・メンシックが描き出す、美しくもミステリアスな“もう1つの物語”

ベルリンのプレンツラウアー・ベルク区に位置するブックストア「Uslar & Rai Buchhandlung」へ足を運び、ハードカバーの小さな本を手に取る。ドイツ人イラストレーター、カット・メンシックが手掛けた料理本「Essen essen(mehr ist mehr!)」だ。この本は、1ページ目を開いた瞬間から笑顔になれるカラフルでハッピーな魔法がかけられている。野菜やキッチングッズ達が愉快なキャラクターとなってあちこちに登場し、レシピとともに楽しませてくれるのだ。

カット・メンシックは、装丁から印刷の色指定に至るまで、すべてのデザインを自身で手掛けている。エンボス加工やシルバーの縁など、1冊ごとに細部にこだわった全く違うデザインとなっており、それは、贅沢に凝縮されたポップアート作品のようであり、コレクションしたくなる美しい絵画のようでもある。多くの人が目にしている村上春樹作品においても彼女にしかできないさまざまなトリックが仕掛けられている。そんな、カット・メンシックが作り出す唯一無二の世界を知りたくなって、インタビューを行った。

物語の隙間に描かれた見えない物語を絵で埋めるトリック。

――新聞や雑誌、コミックなど、幅広く活躍されている中で、小説の挿絵としては、2002年出版のエン・ヴェテマア著『エストニアの水精たち』(Die Nixen von Estland)以降、長年にわたり、著名作家の作品を数多く手掛けられています。ダークファンタジーやシュルレアリスム(超現実主義)的な作品がお好きとのことですが、挿絵を担当する際にも作風が決め手となっているのでしょうか?

カット・メンシック(以下、カット):私は、20年間ドイツの主要新聞(フランクフルター・アルゲマイネ新聞)でイラストレーターとして仕事をする傍ら、年2冊の本を出版しています。これまでに、クラシカルなシェークスピアやフランツ・カフカ、E.T.A.ホフマン、E.A.ポー、北欧のメルヘンなどを手掛けてきましたが、他にも、私自身が執筆とイラストの両方を手掛けている料理本や、長期にわたり「SPIEGEL」でベストセラーとなったドイツ人著名生物学者による動物に関する本、ドイツの人気テレビドラマ「バビロン・ベルリン」の原作者が書いた推理小説なども手掛けています。私の本のシリーズは、クラシカルな作家や現代作家など、ジャンルはさまざまですが、上記の作品のようにいろんなテーマを取り扱うことが本当に大好きです。なので、本を製作している時が一番楽しいですね。どの本も毎回素材を替え、本の天に色を付け、特別な紙を使ったりして手間を掛けて作り込みます。出版社はいつも「世界で一番美しい本」として売り出してくれるのです。

――単に美しいというだけでなく、カットさんの絵は、その世界観に吸い込まれていくような幻想的でミステリアスな美しさと、記憶に残る強いインパクトがあります。イラストを描く時、いつも作品の物語からインスピレーションを得ているのでしょうか? あるインタビューで、物語に登場しない生き物を描くことで、読者をいろんな方向へ導くとおっしゃっていたのがとても印象的でしたが、どのようにして描く対象を考えつくのでしょうか?

カット:そうですね。いつも言っていることですが、読者を絶対に退屈にさせてはならない! ということが前提にあり、とても大切なことだと思っています。すでに物語で語られていることを、私がもう一度絵で描く必要はないということを意味していて、無意味なことだと思うからです。私は文章に自分の感情を委ねて、そこに思いつくことを描いていきます。それは読んでいる文章とは全く関係のない違う事柄かもしれません。でも、物語の隙間に描かれた見えない物語を絵で埋めていくのです。それがトリックです。

イラストレーターが描きたい作家を自由に選べる稀な環境。

――日本では、カットさんのトリックを楽しめる作品といえば、村上春樹著「ねむり」「パン屋を襲う」「図書館奇譚」「バースデイ・ガール」の4作品かと思いますが、以前より愛読されていたという村上作品の中で、特に好きな作品はどれですか?

カット:数十年前に初めて村上作品と出会い、そこから読んでいますが、特に好きな作品は「羊をめぐる冒険」ですね。

――村上春樹さんとの出会いは、ドイツの「デュモン」社を通じてとのことですが、作品の挿絵を担当することになった経緯を教えて下さい。

カット:村上作品に限らず、私のこれまでの仕事の多くがそうでしたが、出版社からオファーをもらっていました。村上作品に関しても、出版社から短編でイラストを描かないか? と電話をもらったのですが、当時は、このようにオファーをもらった仕事を手掛けるスタンスでした。現在は、私自身の本としてシリーズ化され、出版されていますが、世界的に見てもイラストレーターの方から描きたい作家を自由に選べるという環境は、非常に稀なことです。当然ながら、村上さんの作品でもぜひイラストを描き、出版したいと思っています。彼にやりたいかどうか、聞いてみてくれないかしら?

――確かに、イラストレーターから一緒に作品を手掛けたい作家を指名するというのは聞いたことがありません。カットさんの絵を通して知る物語は原作とはまた違った印象や世界が広がりそうですね。以前よりファンだった村上さんと実際に仕事をしてみてどう思われましたか?

カット:村上さんの作品でも料理本でも同じように向き合いますが、まず、第一にそれぞれの文章から浮かばせることができるアイデアが必要になります。それが本をデザインする上で一番重要なことだと言えます。色や形だったり、浮かんだアイデアの内容や絵だったりが言わんとする言葉が肝心なのです。私の本は、どれも違ったテイストのデザインに見えますが、絵のタッチから私の作品だとわかってもらえるでしょう。本の装丁においてもいつも違うということに気付いてもらえると思いますが、それは、読むだけでなく、本を見て楽しんでもらいたいからです。私は毎回読者を驚かせたいと思い、いろんなアイデアを盛り込んでいるのです。

村上作品では、まず、彼が私の絵を気に入ってくれたので、これ以上にない! というぐらい完璧に仕事ができました。作家さんが絵を喜んでくれるということはとても素敵なことであり、それぞれの物語をまた違う解釈で見てみようと思わせてくれます。

カット・メンシック
1968年生まれ。ドイツのイラストレーター、デッサン画家。イラストレーターとしての経歴は、1990年代にコミックマガジン「スプンク」の共同発行者兼編集者、そして「A.O.C.」を刊行した頃から始まっている。1999年以降、漫画家としても知られるようになり、「世界受け取り人」を日曜日刊行のフランクフルター・アルゲマイネ新聞(FAZ)のベルリン地域版に長期連載するようになる。その後、小説本のイラストレーションを手掛けるようになる。現在フリーイラストレーターとしてFAZの文芸欄や、ドイツの雑誌などのに作品を提供している。その他、エン・ヴェテマアの「エストニアの水精たち」や、村上春樹の「ねむり」や「図書館奇譚」のイラストレーションを描いている。

Interpreter:Yuka Yanagihara

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author:

宮沢香奈

2012年からライターとして執筆活動を開始し、ヨーロッパの音楽フェスティバルやローカルカルチャーを取材するなど活動の幅を海外へと広げる。2014年に東京からベルリンへと活動拠点を移し、現在、Qetic,VOGUE,繊研新聞,WWD Beauty,ELEMINIST, mixmagといった多くのファッション誌やカルチャー誌にて執筆中。また、2019年よりPR業を完全復帰させ、国内外のファッションブランドや音楽レーベルなどを手掛けている。その他、J-WAVEの番組『SONAR MUSIC』にも不定期にて出演している。 Blog   Instagram:@kanamiyazawa

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