町の床屋さん「BARBER SAKOTA」と店主・迫田将輝が切り開く未来

日本ではコンビニよりも美容室の数が多い。それほどひとびとの生活に密着し、ファッションや音楽といったカルチャーともリンクし、独自の文化を形成している。今でも続々と新しいカタチのヘアサロンが生まれる中で、“町の床屋”として時流に流されないオリジナルのスタイルを提案する床屋がある。東京は下高井戸にある「BARBER SAKOTA(バーバーサコタ)」がそうだ。
昔ながらの日本のバーバースタイルに、店主の迫田将輝さんが好きなスケートボードやアート、ファッションといったカルチャーを取り入れながら、これまでにない床屋像でファッション業界や音楽関係者からも支持を得ている。今年の2月には伊勢丹新宿店にてポップアップショップを開催し、床屋の枠組みを超えたアクションで話題となった。コロナ禍という激動の中で「BARBER SAKOTA」が向かうべき先はどこなのか。これまでの経緯を含めて、店主の迫田さんに話を聞いた。

町の床屋と大手百貨店がコラボレーションできたのはとても大きな出来事

――コロナ禍によって在宅時間が増加したことにともない、オシャレをして外出するといったことが減りました。激動の2020年を振り返ってみてどうですか?

迫田将輝(以下、迫田):コロナ禍の影響はまったくないと言えば嘘になります。特に2020年の3月、4月の自粛要請が出たころですかね。電車に乗るのもちょっといけないんじゃないか、といった風潮に包まれていた時期。その頃は、いつも来てくれている常連のお客さんの数がガクッと減りました。入っていた予約はほぼキャンセルが出てしまって、僕自身、どうしていこうかなという状況でした。でも店は休むことなく続けて予約がない時は休業日にしたりと、状況に応じて対応しながら、今できることはなんだろうということを考え続けました。

そこで動ける時間があるならと、オンラインショップを始めることにしたんです。ちょうどこのタイミングで新しいスタッフが入ったのもあったので。これまでお店で販売しているグッズは、来店してくれたお客さんやインスタのDM、お店へ電話連絡をしてくれた人に対して直接販売をしていたんですが、いずれはきちんとしたオンラインショップを持ちたかった。こうして2020年の4月末にオンラインショップをオープンさせることができました。

――オンラインショップではどんなものを販売しているのですか?

迫田:お店に置いているTシャツやグリースといったオリジナルのグッズですね。オンラインショップオープン時には、それだけでは物足りないなと感じたので、僕の私物や友人の私物をフリマ感覚で販売もしました(笑)。

――床屋でTシャツやバンダナといったファッションアイテムを販売しているのはおもしろい試みですね。なぜまた作ることにしたんですか?

迫田:経緯としては、ショップのロゴをずっと通っているショップ、「MIN-NANO(ミンナノ)」のゴローさんに作っていただいたんです。ロゴを作ってもらったのなら、そのロゴTシャツを作りたい、いわばバンドマンがグッズを作る感覚に近いと思うのですが、自然とグッズを作るようになっていったんですよね。ちなみにオープンから定番で出しているTシャツもゴローさんのデザインです。

――キャッチーなデザインがとてもすてきです。グッズのリリースといえば今年2月には、伊勢丹新宿店メンズ館にてポップアップイベントがありました。こちらも床屋としてはユニークな試みでした。改めてどんなイベントだったのかを聞かせてください。

迫田:昨年の11月頃ですかね、昔からの友人が伊勢丹にあるショップで働いていたのが縁でこのお話をいただいたんです。僕の中で、町の床屋と大手百貨店がコラボレーションできるのはとても大きな出来事だと感じたので、2つ返事でOKしました。そこでせっかくポップアップするのならばと、これまで販売してきたコラボレーショングッズに加えて、恐縮し過ぎてお願いできなかった先輩達に新たなグッズを依頼しました。おかげさまでアーカイブと新たなコラボレーションをリリースすることができたので、とても有意義なポップアップイベントになりました。

床屋は歳を取ってもできる仕事

――話題を変えて、迫田さんが“町の床屋”を始めるに至った原点について聞かせてください。なぜ美容師ではなく、理容師を目指すことにしたんですか?

迫田:だいぶ遡りますが、まず、高校生の時に大学生や社会人になりたくなかったんですよね(笑)。今考えると相当ひねくれていたんだと思います。大学生はイヤ、でもまだ働きたくもない、だったら専門学校だって思いついて、専門学校の見学に行ったんです。

――その学校が理容学校だったと?

迫田:いえ。バイクの整備士を目指せる専門学校でした(笑)。当時はバイクに夢中だったので、「バイクの整備士って渋いじゃん!」と、見学に行きました。するとその学校にいたのは、バイクオタクばっかりで。僕はバイクは好きだけど、オタクと言えるほど知識はなかった。これでは勝てないとバイクの整備士を断念しました。それで友人に付いて行ったのが、美容専門学校だったんですよね。

――(笑)。では当初は髪を切るという仕事すら考えていなかったんですね。

迫田:そうなりますね(笑)。でもその学校見学を経て、誰かに言われた忘れられない言葉があります。それは「床屋は歳を取ってもできる仕事だよ。美容師は若いうちだけだよ」って言葉。誰に言われたかは覚えていませんが、今でも忘れないこの言葉。なかなか無茶苦茶なことですけど、要はチャラチャラしていないで、先を考えて行動しないとな、と思わされたんです。そこで、床屋を生涯の仕事にしようと決めました。当時はカルチャーとしても美容師が全盛期だったので、そこで競うよりも理容師で勝負してやろうと。今改めて、床屋は歳を取ってもできる仕事というのを実感しています。

――長く続けられる仕事というのは、重要ですね。卒業後は、ヘアスタイルに加えてライフスタイルを提案している「FREEMANS SPORTING CLUB(フリーマンズ スポーティング クラブ)」でキャリアを積まれたと聞きました。そこでの経験は大きく影響していますか?

迫田:「フリーマンズ スポーティング クラブ」の前にも何件か経験しているのですが、影響を受けたのはそうですね。洋服屋さんの中にある床屋と言いますか、当時、床屋でありながらも別業種も並行して営業しているお店は少なかったので、とても勉強になりました。なので「BARBER SAKOTA」で、写真展やイラスレーターの個展を開催しているのは、ここでの経験も大きいです。
そして、ここで出会った人とのつながりは特に大きいです。今でも付き合いがありますし、なにかとサポートもしてくれています。以前に写真展を開催した写真家の相澤有紀くんとの出会いもそうですね。

日本に昔からある町の床屋感を意識している

――写真展の話をもう少し詳しく聞かせてください。「BARBER SAKOTA」で開催されている個展のアーティストやポップアップの相手はどのようにして決めているのですか?

迫田:たまにやらせてほしいとも言われますけど、基本的にはその人物を僕がよく知っていて、なおかつ僕が好きな感性を持った方にお願いしています。

――これまでにどんなアーティストやお店と開催してきたのですか?

迫田:吉祥寺にある古着屋「アダルト」や幡ヶ谷のヴィンテージトイショップ「ラセット バーバンク」、僕のお店のショーウィンドウにも絵を描いてくれた画家のHiraparr Wilson、イラストレーターのYu Todorikiなどですね。出会いはそれぞれ違いますが、とても大切な仲間のような存在です。

――写真展やポップアップなど、床屋さんにはとどまらない展開がとても興味深いです。他にもオリジナルのグリースを作ったり、ラジオも配信されていたりと、多岐にわたって活動されていますよね。

迫田:グリースに関しては、ずっとオリジナルで作りたいと思っていたところ、お客さんを通じて業者をつないでいただいたんですよね。これも人とのつながりが生んだものですね。昨年の10月に販売を開始したのですが、こだわった点としては、オーガニックに関してはかなり研究しました。僕は手荒れがひどいほうだったのですが、このオーガニックグリースに変えてからはだいぶ改善されました。

ラジオに関しても、2020年に始めました。きっかけは、お店に通ってくれているお客さんや周りにいる人達におもしろい人が多いのに、しっかりと僕自身が話せていないなと感じていたからです。当初はトークショーでもやろうかと思いましたが、ラジオならば手軽にお客さんも集めることなくできるなと、録音したものを月に1回、Mixcloudにアップしています。
 

――ラジオではどんなお話をしているのですか?

迫田:僕が気になる人を呼んでのフリートークですかね。でも音楽のことは必ず聞いています。毎回、その時に話を聞きたい人を呼ぶようにしていて、今後も定期的にアップし続けたいです。

――楽しみにしてます。これまで伺った話を振り返ると、2020年はコロナ禍にもかかわらずかなり動かれたんですね。

迫田:2020年を狙ったわけではないんですけど、気付くとすごい動いてきました。姉妹店のオープンもそうですけど、たまたま仕込んでいたものが重なっただけなんですけどね。

――姉妹店まで……。すごい行動力だと思います。その姉妹店、下高井戸の「BARBER SAKOTA」に続き、経堂に「CUT HOUSE KYODO(カットハウス キョードー)」がオープンしました。こちらはどういった経緯で?

迫田:いい物件が見つかったと言えばそれまでなのですが、オープンのいきさつとしては、「BARBER SAKOTA」で新規のお客さんを抱えることが難しくなってきたことですかね。問い合わせをいただくけども、僕の手が回らなくなってきまして。そこでスタッフに新規加入してもらっていたのと、いい物件を見つけることができたこともあり、オープンにこぎつけました。僕の立ち位置としては、普段は下高井戸店にいるので、経堂店はオーナーになります。

――「CUT HOUSE KYODO」では、どんなスタッフさんが?

迫田:経堂店は、盛田と高橋の2名が立っています。盛田は昔からのスケートボード仲間でもあり、高橋は現在「BARBER SAKOTA」で働くスタッフの坂本の友人です。2人とも信頼できる腕を持っているので、ぜひとも足を運んでほしいです。

――両店舗とも内装を極力シンプルにされているのは共通していますよね。お店のコンセプトは?

迫田:ともに日本に昔からある町の床屋感を意識しています。前職の「FREEMANS SPORTING CLUB」は、アメリカカルチャーを背景にしたバーバーだったのに対して、僕のお店は、ザ・床屋。それはやはり長く続けるためというのはありますが、はやりに関係しないお店にしたかった。それこそ20年、30年も続けていけることを意識しました。なので、内装は作り込みすぎず徹底してシンプルに。お客さんが座られる椅子は、1990年代後半に実際の床屋で使われていたものを修理して使っています。

――日本の床屋感というのもおもしろいですね。

迫田:やはり町に根ざした床屋を目指すとなればそうしたかった。昭和のイメージと言いますか。前にシャンプー台があるのなんてまさにそうですよね。バーバーは背面だったり、そもそもシャンプー台がなかったりするので。おしぼりを出すのも、日本の床屋特有のスタイルです。

――他にも提案していることなどありますか?

迫田:僕が目指す床屋は、具体的にこれっていうのは提案しないようにしています。ただ来てくれるお客さんの希望にそったものをできる限りかなえてあげたい。もっと言えば、お客さんに合わせてやりたいことをかなえてあげると言いますか。希望の髪型を説明するのが苦手な方もいらっしゃるので、言葉が少なくても察してかなえてあげたいですね。

若い世代に対して、床屋の可能性を提示していきたい

――今後目指すべきお店の在り方も聞かせてください。コロナ禍の影響だけなく、床屋は現在、美容室に比べて減少傾向にあると聞きます。

迫田:僕自身は2店舗構えてみて、長く続けていける自信を持てています。ただ、床屋業界全体の話になると難しいのですが、僕だけに限らず今やいろんなスタイルの床屋が増えてきたと思います。増えてきたと言っても、みんなで束になって床屋業界を盛り上げて行こうという気質でもないので、減少傾向は止まらないかもしれません。

でもそのような状況だとしても、僕にしかできないことってあるはず。例えば、オリジナルのグリースを作ってみたり、グッズを作ってみたりとこれまで話してきたことは、僕にしかできないことだと思います。そんな人とのつながりを大切にしながら、これからの若い世代に対して、床屋の可能性を提示できたら嬉しいです。それこそ「床屋は歳を取ってもできる仕事だよ」ということを伝えていけたらいいですよね。ただ、髪を切るという行為が大前提。本業をおろそかにしてしまったら本末転倒なので、そこはブレずに続けながらも幅を広げていきたいです。

迫田将輝
東京都出身。理容学校を卒業後、「フリーマンズ スポーティング クラブ」にてキャリアを積み、2016年に下高井戸に「BARBER SAKOTA」をオープンさせる。その後、2020年には経堂に「CUT HOUSE KYODO」オープンさせ、両店舗のオーナーでありながら、下高井戸店に立つ。
Instagram:@barbersakota

■BARBER SAKOTA
住所:東京都世田谷区赤堤4-42-19 青山ビル1F
営業時間:10:00-20:00
定休日:月曜日
TEL:03-6379-1134
https://www.barber-sakota.com
Instagram:@barbersakota

■CUT HOUSE KYODO
住所:東京都世田谷区経堂1-21-11
営業時間:10:00-20:00
定休日:火曜日
TEL:03-4362-6117
https://cuthousekyodo.com
Instagram:@cut_house_kyodo

Photography Shinpo Kimura

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author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

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