眩ゆいスポットライトに照らされるファッション・ショーの裏側には、それを支える多くの人達がいる。フランスのラグジュアリー・ブランドからのラブコールが絶えないカリグラファー、ニコラ・ウシュニールもその1人だ。17年前に独学で身に付けたレタリングの技術を持ってキャリアをスタートさせ、業界で唯一無二の存在として今も活躍し続けている。トップメゾンから若手デザイナーまで、パリ・ファッション・ウィークに名を連ねるブランドで仕事をしたことがないブランドを見つけるほうが困難なほどだ。それは彼が才能にあふれ完成度の高いデザインを生み出すだけでなく、温かく人当たりの良いチャーミングな人間的魅力を持ち、多くの人を引き付けるからだろう。カリグラファーとしてのキャリアやパンデミックで変化するファッション業界について、彼のアトリエで聞いた。
――幼少期から文字を書いたり、絵を描いたりすることが好きだったんですか?
ニコラ・ウシュニール(以下、ニコラ):確かに好きだった。一番古い思い出は、子どもの頃、医師の診療を受けるのがつらくて、気をそらすために医師が書く処方箋に集中していたこと。万年筆から出てくるインクや判読できない文字、医師の手書きにはある種の謎と歴史の空気があり、その行為に夢中になった。
――カリグラファーとしてのキャリアをスタートしたきっかけは?
ニコラ:芸術に関心があってアートギャラリーで働き、バイヤーのために招待状を書き始めたのがすべての始まり。集客という目的において効果的で、書くことにますます興味を持つようになり、いつの間にか書かずにはいられなくなっていた。でも、カリグラファーとして生計を立てられるとは思っていなかった。
――どのように生計を立てられるようになったんですか?
ニコラ:すべてが偶然だった。アートギャラリーで出会った知人がカリグラフィーの仕事を依頼してくれて、その人がまた違う人を紹介してくれて… …そんな風に縁がつながっていった。キャリアをスタートした初期の頃にミウッチャ・プラダやリック・オウエンスと出会い、ロゴを制作したり招待状を書いたりするようになって、ファッション業界に携わるきっかけとなった。
――仕事で大切にしていることは?
ニコラ:仕事をする相手と建設的な人間関係を築くことかな。依頼された資料に目を通して作品を送るという流れ作業のようなことはしない。ブランドの哲学を理解し、そこで働く人々のことを知り、人として向き合うことを大切にしている。そこからイメージをつかみ、作品を生み出すことしている。過去の「カルティエ」のコラボレーションではインドに3ヵ月滞在してチームと時間を共有し、制作に取り組んだこともある。必要な情報をインプットしたら、音楽を聴きウォッカを飲みながら書くというアウトプットの作業に入る。週末はパリを離れて自然の中に身を置いたり、ビアリッツにある別荘でゆったり過ごしたりしてインスピレーションを得ることも多い。どこにでもノートブックを持ち歩いて、書く手を止めることはほぼないけれどね。
――普段の仕事内容は?
ニコラ:ショーやイベント、パーティなどの招待状に住所や名前を手書きしたり、ブランドとのコラボレーションを手掛けたり、個人の顧客のために作品を制作することもある。紙の上に書くのが基本だが、ジュエリーの彫刻やタトゥーのデザイン、建築物の壁全体に文字を書いたこともあり依頼によってさまざまだ。例えばファッション・ショーの招待状であればレザーやガラスなど、素材は無限にある。コラボレーションも多岐にわたり、Tシャツなどのプリントの他に、「プラダ」とはパフュームの香り付きインクが数種類入った万年筆セットを制作した。日本のラグジュアリーバッグブランド「デューレン」とのコラボレーションが現在進行中で、僕がデザインしたロゴなどがバッグだけでなくサーフボードにも描かれる予定だ。来年の公開を楽しみにしていてほしい!
――ファッション・ウィークではどれくらいの招待状を書くんですか?
ニコラ:一日2000、合計6万枚くらいだろうか。必要であれば何時までだって作業するし、自宅に帰らずアトリエのソファがベッドと化すこともあるよ。
――2021年春夏シーズンのパリ・ファッション・ウィークはデジタルとフィジカルの両軸で開催されたため、招待状は極めて少なかったですね。
ニコラ:ショーだけでなくほとんどのイベントも開催されず、仕事量は信じられないくらい減ったよ。
――パンデミックの最中、将来について不安になることはあった?
ニコラ:長年仕事をともにしている仲間をただのクライアントだとは思っていなくて、家族のような存在なんだ。彼らと助け合うことが大切で、仕事量の増減は不安材料にはならない。それに、周りを見渡してみて。商品や広告、お店などカリグラフィーは至る所にある。ホテルや美術館のロゴやワインボトルのラベルのデザイン、建築家やインテリアデコレーターとのコラボレーションも増えていて、仕事の幅はファッション業界に留まらない。これはカリグラフィーが芸術の文化に浸透していることを意味すると思う。最近ではSNSに投稿するための手書き作品を制作することもあり、フィジカルとデジタルの融合という新しい経験がおもしろくてワクワクしている。カリグラファーを日本語に訳すと書道家という意味があるけど、そこからイメージされる仙人みたいな人間性ではなくて僕は常にオープンなんだよ。
――日本の書道には親しみがある?
ニコラ:深く親しみがあるわけではないけれど、書道作品や浮世絵を愛していて心から美しいと感じる。「ピーター・グリーナウェイの枕草子(英題:The Pillow Book)」という書道家の家に生まれた女性が主人公の映画で、書の持つ美しさに感銘を受けた。この映画がなかったらカリグラファーになっていなかったかもしれない。
――実際に日本を訪れて、どんな印象を持っていますか?
ニコラ:日本には毎年最低1回は行っていて、芸術はもちろんだけど街や建築、雑貨などすべてがインスピレーションとして刺激を与えてくれる。着物などの服飾文化にも魅力を感じていて、作業用のユニフォームには着物の生地を使った羽織を愛用している。「ジュンコ シマダ」のデザイナー順子とは長年の友人で、彼女が館山の別荘に何度も招待してくれて、東京や京都に並ぶ僕のお気に入りの場所だよ。日本に行ったら必ずしなければいけないことが、筆ペンの大量購入。インクとペンの間である筆ペンは素晴らしい発明品で、他に取って代わることができない独特の仕上がりになる。今年は渡航が叶わなかったから、日本がとても恋しい……。