DJ NOBUと「FUTURE TERROR」。20年を経ても常にカウンターを守り続けるパーティの在り方―前編―

日本のクラブシーンが大きく成長を果たした1990年代を経て、成熟したパーティが多く開催されていた2000年前後、そこからさらにカウンターをいくパーティが登場した。

それは、2001年に千葉市でスタートしたアンダーグラウンドパーティ「FUTURE TERROR」。 千葉ローカルのDJ達をメインに、己のスタイルを毎回フロアへと投げかけ、ハードコアかつ、ハッピー極まりない現場を実際に経験した人達の間で口コミでどんどんと全国へうわさが広がっていった現場主義のパーティである。国内外問わず、これまでに出演してきたDJ、音楽アーティスト達に共通していたのは、高い音楽スキルを持った独自のサウンドを放つひとびとばかりだということ。

その「FUTURE TERROR」が、今年20周年を祝い、いくつかパーティを開催する。1回目となる、「札幌プレシャスホール」でのパーティはすでに開催されたが、DJ NOBUHarukaOccaが出演したパーティは、日本でも、いや世界でもトップクラスのサウンドシステムを兼ね備えたプレシャスホールと実にマッチし、素晴らしい日となった。

今回は「FUTURE TERROR」の発起人であり、パーティとともにDJのスキルを磨き世界へと羽ばたいていったDJ NOBUに、20年を経たパーティについて聞いた話を2回に分けて紹介する。

前編は、「FUTURE TERROR」について。後編は、コロナ渦を経てひさしぶりに各国でのDJ出演が始まっている現在の活動状況について。インタビューは、アムステルダム滞在中にリモートで決行。画面越しに見るDJ NOBUは、すこぶる絶好調だと感じた。

20年を経て、再び原点に戻りつつある「FUTURE TERROR」

——「FUTURE TERROR(以下、FT)」20周年、おめでとうございます。今年はパーティがいくつか開催される予定ですね。

DJ NOBU:始まりは2001年なので、本当は今年で21周年なんです。だけど去年はパンデミックで、パーティを積極的にやる感じでもなかったので。というのも、パーティをやることが許されないみたいな世の中の空気もあったじゃないですか。 FTとしては去年、群馬で一度室内よりリスクの少ない野外をやっただけなんですけど、今年は完全に元通りではないけど、世界的にパーティもDJも活動再開していく流れができつつあるし、この2年間でウイルスに対する認識が成熟されました。個人的にウイルスは今後ついてまわるものだし、今年こそ元通りの生活に戻してよいだろうと考えています。そういう意味で、今年はもう普通に活動しようと。なので、20周年記念はこのタイミングでやらないとなって感じです。

——もともと2001年にパーティを始めたきっかけはなんだったのですか?

DJ NOBU:自分達の遊び場がなかったというか、つまらなかったんですよね。当時、私は27歳。自分にとっては窮屈な遊び場しかなくて、東京もおもしろくなかったし、それだったら自分達が好きでコントロールできて楽しめる遊び場を作ろうっていう。始めた動機はそんなシンプルな感じでした。

——それまではDJ NOBUさんDJをされていたんですか?

DJ NOBU:FTが始まるまでもやってはいたけど、超適当な感じでした。だからFTでDJを始めたようなものです。

——20年を経た、現在のFTはいかがですか?

DJ NOBU:結局、ここ20年くらいで2周したと思うんですよ。もともとD.I.Y.でパーティを始めて、結婚式場やレストラン、ポートタワーだとか、クラブでないところでやっていた時代もあるし。最近はパンデミックでクラブでパーティができにくくなったので、一昨年から野外で再チャレンジをした感じですね。Harukaがすごく頑張ってくれて、野外のノウハウを覚えてくれたし、20年たってまた原点に戻った感じがします。

——2000年代、2010年代を経て、どのような流れでFTは大きくなっていったなと思いますか?

DJ NOBU:最初は千葉でローカルベースのパーティだったけど、今は日本を代表するパーティになったと思いますね。だから海外でも知っている人が多いし、今年は日本以外でもFTをやりたいなと思っていて、昨日はこっちのエージェントとミーティングをしました。いくつか候補に挙がっているクラブがあって、われわれのテクノの美学を世界にも伝えたいというのがありますね。 



——FTに行くと独自の空気感を感じますが、この20年を振り返ってみてパーティはどんな方向でやってきましたか?

DJ NOBU:2001年にどういう経緯でFTが始まったのかっていう、話につながってくるんですけど、私がその時にDJをきちんとやろうと思ったきっかけが、当時、日本ではハウスミュージックがオルタナティヴ化したというおもしろい現象が起きた時だったんです。音楽の考え方や捉え方というか、人から与えられたものじゃなくて、自分達で「こういうことなんじゃないの?」っていう独自の解釈がいいなと思って。当時は大阪の「FOL」や三重の「eleven」とか、同時多発的に一般のシーンからはみ出たパーティが生まれた。それと同時に個性的なDJも現れたけど、われわれみたいな癖の強いDJがプレイする場所があまりなかった。

そんな時代にFTを始めたんだけど、例えば世界的なトレンドがあるとしたら、それに流されずに、別の世界で自分達の好きなことをして音楽をDJで表現したり、何かをやっていくことがすごくおもしろいことに気付いたんですよね。日本でも海外でも世界にはトレンドがあるけど、自分はそこにいるわけではないし、左右される必要もない。この間も私と真逆の今はやっているファストで、1990’sリバイバルスタイルの人気DJとマイアミとロサンゼルスで一緒にやったけど、そこに乗っからないで自分のスタイルを貫いてプレイすると喜ばれる。その時は、僕のことを知らないであろう新しいお客さんもたくさん残ってくれて延長までしたし、そういう意味ではきっとHarukaもスタイルを崩さないと思うので、FTでは私達が好きなテクノをストリクトリーに表現していくというか。それをパーティで形にしてやってきた感じですね。

テクノと共振するような、おもしろい音楽をテクノファンにも紹介していきたい

——わが道を進んできたということですね。FTは表のシーンに対するカウンターをいく、そんな印象があります。

DJ NOBU:もともとはカウンターカルチャーではありますね。さらに今の若い人達は、私達がやっていることに対するカウンターカルチャーをやっているのかなと思うこともありますけど。自分達が理想とするテクノや音楽の魅力をパーティで表現するといいますか。

——テクノというキーワードがでてきましたけれど、FTでテクノをメインにやっていくと意識されたのはいつ頃からですか?

DJ NOBU:私が2006年くらいからテクノを取り入れ始めたのは、「FUNKTION-ONE(ファンクション・ワン)」との出会いがあったからなんですけど、そこに機材やテクノロジーの進化も関係してくるというか。当時、「Micro Office(*宇川直宏が渋谷の地下でやっていたクリエイティブスペース)」に「FUNKTION-ONE」が入っていて、浅田さんという自分が好きなPAがいました。そこでディテールがクリアで、トリッピーでパワーもあって、快楽度の高い気持ちの良いテクノを聴いて、テクノに対する考えが変わったんです。さらにはテクノの進化の仕方が、自分のやりたいことと合致したんですよね。曲に頼らずDJのスキルによって、どういうふうにでも調理することができる、DJ次第でぜんぜん聴こえ方が変わっていく、というテクノの魅力に取りつかれたというか。

——これまでにFTにはいろいろなDJやアーティストの方々が参加されてきたと思いますが、これまでどんな人達を呼んできたと思いますか?

DJ NOBU:2009年くらいからは海外のテクノ系アーティストを呼ぶようになって、さらに自分も2010年くらいから海外へ行くようになって、そこで物事、パーティ、そしてテクノの見え方が大きく変わったかな。テクノの自由さというか。テクノってどうにでもできるじゃないですか。料理をすることと共通することがたくさんある。DJの腕次第でうまくもまずくもなる。なので2009年以降は、電子音楽のおもしろい人やDJ、バンドにしろテクノパーティだけど、さまざまな表現の音楽、テクノ好きの人達が聴いても何か発見があって楽しめるアーティストを呼んできました。例えば、この間はテリー・ライリーを呼びましたけど、そうやって音楽としておもしろいものをテクノファンにも紹介していきたいし、そういう自由度を保ったまま、2009年から最近くらいまでの第2~3期はやってきたって感じですね。

——音楽に対する姿勢や精神面など、呼ばれた方々に共通するものはありますか?

DJ NOBU:精神面はみんなバラバラだけど、音楽に真面目で挑戦的に向き合っている人というのは大前提です。 あとおもしろくて刺激があるのも重要ですね。自分がそう感じなければ呼びたくないし、現場でパフォーマンスしてもらってやっぱりおもしろいなって感じさせてくれる人達ですよね。

昨年、「FUTURE TERROR KAWABA」の時のタイムテーブルも、時間によってパーティ全体を通しての流れとおのおのの役割というか、ここにこの人を挟んだらおもしろいだろうってことを、Harukaとアイデアを出し合って考えましたし。なので精神的なところは特に気にしていないですね。

——第1期の頃は、千葉ですごく良いパーティをやっているという印象が強かったのですが、お客さんはどのような方々がいらっしゃっていましたか?

DJ NOBU:地元の人もだし、普段テクノを聴かない人も来ていたし、いろんな人達、スケーターもグラフィティライターもそうだし、バンド系の人達も来てるし。で、やっぱりなんだろう。今は世界中で問われていますけど、現場がセーフティゾーンであることとかあたりまえにならないといけない。この間、「Nowadays」ってニューヨークの箱でやったんですけど、そこはスタッフもお客さんも多様性の大事さを完璧に具現化していて、ひさしぶりに衝撃を受けました。その場にいる人達で超ナチュラルに秩序が守られている。私にとってはすべて最高で、本当に遊び方の上手な人達が集まっているし。すごくお手本になる場所でした。誰しもが安心して遊べるというか。日本はまだまだ意識が低く、セクハラなどの相談も受けるし、起きたトラブルに対して積極的じゃない場がまだまだ多い印象です。こういったことに対してDJ達も未熟な人が多過ぎて、世界とのギャップに首がもげそうになることもあります。

——2009年あたりに、マルセル・デッドマンがFTに出演していたかと思いますが、DJ NOBUさんにとって大きな出来事でしたか?

DJ NOBU:衝撃を受けましたよ。自分がそれまで我流で模索していたテクノに対して当時のヨーロッパの“主流”を初めて食らいました。だけどそのあたりから自分のスタイルが出てきたのは確かです。

※後編へ続く

DJ NOBU 
DJ/サウンドプロデューサー。「FUTURE TERROR」、レコードレーベル、BITTA主宰。パンク、ハードコアでの活動を経て、2000年初期よりDJをスタート。2001年より地元である千葉市でアンダーグラウンドに根付いたパーティ「FUTURE TERROR」を定期的に開催。2009年以降はDJとして海外にも進出し、日本のテクノシーンを代表する現在は、ワールドクラスのDJとして、各国のパーティやフェスで活躍中。また国内では「FUTURE TERROR」だけでなく、不定期に自身主催のパーティも主催する。サウンドプロデューサーとしても定期的にトラックを制作しリリースを重ねている。
Twitter @dj_nobu_ft
Instagram @dj_nobu_ft

Photography Jun Yokoyama

author:

Kana Yoshioka

フリーランスエディター/ライター。1990年代前半ニューヨークへの遊学を経て、帰国後クラブカルチャー系の雑誌編集者となる。2003年~2015年までは、ストリートカルチャー誌『warp』マガジンの編集者として活動。現在はストリート、クラブカルチャーを中心に、音楽、アート、ファッションの分野でさまざまなメディアにて、ライター/エディターとして活動中。

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