不穏な時代における「炭鉱のカナリア」映画 連載「ソーシャル時代のアジア映画漫遊」Vol.16

本連載のVol.15では、ウォン・カーウァイ監督を取り上げた。先日、BFI(英国映画協会)が10年ごとに発表している「The Greatest Films of All Time」の最新版が公開され、同監督作『花様年華』(2000)が5位で、アジア映画では4位の小津安二郎監督作『東京物語』(1953)に次ぐ順位だった。さらに、『恋する惑星』(1994)が88位。ちなみに、第1位は女性監督で初となるシャンタル・アケルマン監督作『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』で、女性監督再評価の世界的な潮流を感じる。

そこで今回は、秋に、福岡「Asian Film Joint 2022 場に宿るもの」第35回「東京国際映画祭」、そして第23回「東京フィルメックス」に参加したので、そこで観たアジア映画の中から、特に“不穏な現代を象徴する作品”に焦点を当てて、これまでの本連載と関連づけながら紹介したい。

東京フィルメックス最優秀作品賞を含む3冠の『自叙伝』

「東京国際映画祭」「東京フィルメックス」の上映作品の中で、その後、他の国際映画祭を受賞し、世界的にも注目されつつある作品が2本出てきた。それはベトナムのブイ・タック・チュエン(=ブイ・タク・チュエン)監督作『輝かしき灰』(2022)と、インドネシアのマクバル・ムバラク監督作『自叙伝』(2022)である。

映画『輝かしき灰』の予告

『輝かしき灰』は、ナント3大陸映画祭でグランプリに相当する“金の気球賞”を受賞した。歴代の金の気球賞受賞作には、濱口竜介監督作『偶然と想像』、ホン・サンス監督作『自由が丘で』、ワン・ビン監督作『三姉妹〜雲南の子』、ジャ・ジャンクー監督作『一瞬の夢』『プラットホーム』。是枝裕和監督作『ワンダフルライフ』などがあり、次回作はさらに知名度がある国際映画祭での飛躍が期待される。

『自叙伝』は、第23回「東京フィルメックス」のコンペティションで、最優秀作品賞を受賞後、「シンガポール国際映画祭」でグランプリに相当する、Singapore Silver Screen Awardをインドネシアの「ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭」でも、グランプリに相当するGolden Hanoman Awardを受賞した。
『自叙伝』のあらすじは以下の通りである。東京フィルメックスのHPから引用する。

映画『自叙伝』の予告

「青年Rakibは地元の首長選挙に立候補を表明した家主の選挙キャンペーンを手伝うことになるが……。父親的存在からの承認を求める1人の青年を通じ、暴力と欺瞞に満ちたインドネシアの近過去を寓話的に描く。ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞した」。

公式カタログによれば、ムバラク監督は少年期、1960年代半ばから30年以上続いた元インドネシア大統領スハルトによる軍事独裁体制下の重い空気の中で過ごし、その自らの経験から『自叙伝』の着想を得たそうだ。

立候補する家主は退役した「将軍」で、軍人出身のスハルトと重なる。そして主人公の青年Rakibは刑務所に入っている父親から「将軍」の選挙活動につきまとうトラブル解決という汚れ仕事を継承する。「将軍」と汚れ仕事を通して、主人公が社会の暗部に踏み込んでいく点は、ある種のノワール映画のような味わいもある。と同時に、圧倒的な父(あるいは父親的存在)をめぐる青年の物語は、中上健次の小説に通じる不穏さと緊張感が終始、持続している。初長編監督作品で、この不穏さと緊張感を演出できるのは、大した才能だと感嘆した。

しかし、12月に入り、BBCの「インドネシアが婚外交渉を犯罪化 外国人にも適用、最大で禁錮1年」という記事を読み、個人の才能はもちろんだが、やはり時代の空気もあるのかなと考え直した。

不穏な時代における「炭鉱のカナリア」

「シンガポール国際映画祭」コンペの審査員委員長は、「東京国際映画祭」で映画『波が去るとき』(2022)が上映された、ラヴ・ディアス監督である。バラエティ紙の記事によれば、彼は、シンガポールのハードロックカフェでムバラク監督にグランプリを授与する前に、「マザーファッカー・プーチン、マザーファッカー・習近平、マザーファッカー・ドナルド・トランプ。にもかかわらず、私たちは今夜、映画を祝います」と述べたそうだ。

少し脱線するが、ラヴ・ディアスは2013年に、独裁者マルコスの故郷を舞台に、ドストエフスキーの小説『罪と罰』を翻案して、マルコスの人物像を掘り下げた傑作『北(ノルテ)―歴史の終わり』を監督している。そして、この『北(ノルテ)』と『自叙伝』は、不穏さと緊張感において、似ている。

映画『北(ノルテ)』の予告

『北(ノルテ』には、現在のマルコス・ジョニア大統領誕生を予感させる“不穏さ”がつきまとっている。『北(ノルテ)』と『自叙伝』における、不穏さと緊張感は、アメリカの作家カート・ヴォネガットの「坑内カナリア理論」で提唱された芸術家の役割、「芸術とは社会全体の表現にほかならないもので、社会が危険な状態になった時、芸術家は率先して炭鉱のカナリアのように声を上げるべきである」に由来していて、ラヴ・ディアス監督は『自叙伝』における「炭鉱のカナリア」としての側面も評価した。

また、今回の東京フィルメックスのコンペティション審査員長は、クロージング作品『すべては大丈夫』(2022)のリティ・パン監督だった。この『すべては大丈夫』も動物が人間を奴隷として支配するディストピアを通して、専制政治に警鐘を鳴らす「炭鉱のカナリア」映画だ。フィルメックス審査員達による『自叙伝』の受賞理由が以下の通りである。

「授賞理由:見事な演出による自信に満ちた映画スタイルで、モラルコントロールの巨大な網に対する個人の抵抗の探求は、次第に権力構造が不穏な邪悪さへと変化する様子を描いている。このテーマは緊急かつ普遍的である」。

つまり、『自叙伝』は「炭鉱のカナリア」映画の先達2人から評価されたのだ。

映画『すべては大丈夫』(2022)の予告

タイの「炭鉱のカナリア」映画2本

ソラヨス・プラパパン監督作『アーノルドは模範生』(2022)も、タイの現政権への痛烈な批判と皮肉を秘めたブラックコメデで「炭鉱のカナリア」映画だった。「シンガポール国際映画祭」では審査員特別賞を、ワルシャワで毎年開催される「Five Flavours Asian Film Festival」ではグランプリを受賞した。
あらすじは以下の通りで、東京フィルメックスのHPから引用する。

映画『アーノルドは模範生』(2022)の予告

「数学オリンピックでメダルを獲得したアーノルド。だがある日、彼は大学入試で学生のカンニングを助ける地下ビジネスに加担してしまう。ソラヨス・プラパパンの長編デビュー作」。

「ばかと天才は紙一重」というが、個人的には、チョン・ドゥファン軍事独裁政権時代を代表する韓国映画の傑作の1つ、イ・チャンホ監督作『馬鹿宣言』(1983)を思い出した。『馬鹿宣言』だと、冒頭、児童画が挿入されていたが、『アーノルドは模範生』では、たびたび「不良学生」グループによる、タイの児童達に自分達の権利や自由を学ぶ助けになるように作った本「学生サバイバルガイド」が挿入されている。つまり、『アーノルドは模範生』も『馬鹿宣言』も、事実上の軍事政権下(タイの現政権は軍政の流れをくむ)でトリックスターによって作られた、痛烈なブラックコメディという点で共通している。

また、福岡「Asian Film Joint 2022 場に宿るもの」で上映された、アナンタ・ティタナット監督のドキュメンタリー映画『スカラ座』(2022)も、タイの現政権への批判を秘めていた。『スカラ座』は、「バンコクで50年以上営業を続けた老舗の映画館・スカラ座が、2020年に取り壊されるまでを記録」したドキュメンタリーだが、終盤、バンコクの老舗映画館のサイアム劇場は、クーデターによって2010年に焼失した事件への言及から、現政権への批判を観客に穏便な形で提示する。『アーノルドは模範生』も『スカラ座』もタイ国内で上映可能なのか、気になるところだ。

映画『スカラ座』(2022)の予告

躍進する「Purin Pictures」助成作品

これら『自叙伝』『アーノルドは模範生』、そして前回のVol.15で取り上げた第23回「東京フィルメックス」特別招待作品で、カミラ・アンディ二監督作品『ナナ(Before, Now and Then)』を合わせた3本には共通点がある。

それは3本すべてが1年前、本連載Vol.11「アジアの女性監督考」で言及し、「Purin Picturesが助成したインディペンデント映画にハズレなし」と太鼓判を押した、「アノーチャ監督とプム監督に、彼女達が運営する、東南アジア圏のインディペンデント映画に特化した製作・活動支援を行う民間映画基金Purin Pictures」の助成作品である点が共通している。

また、先の「ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭2022」の受賞作で、グランプリが『自叙伝』 、準グランプリがSilver Hanoman AwardがPurin Picturesの助成作にして日本未公開作の、フィリピン映画でマルティカ・ラミレス・エスコバル監督作『Leonor Will Never Die』(2022)が受賞している。この『Leonor Will Never Die』は大阪アジアン映画祭で上映されることを期待している。

映画『Leonor Will Never Die』(2022)の予告

「Purin Pictures」の助成基準に、本連載Vol.2で取り上げた「福岡で特集上映される、タイの奇才アノーチャ監督 その過激で優美な迷宮映画の世界」と共通して、「社会が危険な状態になった時、芸術家は率先して炭鉱のカナリアのように声を上げる」ことが含まれている可能性が高い。そして、現在の国際映画祭では、「炭鉱のカナリア」映画が高く評価される傾向にある。

例えば、「カンヌ国際映画祭」の最高賞(パルム・ドール)受賞作、韓国のポン・ジュノ監督作『パラサイト 半地下の家族』(2019)と日本の是枝裕和監督作『万引き家族』(2018)もまさに「炭鉱のカナリア」映画だろう。

「炭鉱のカナリア」のリスクと、国際共同製作の多国化

ただし、検閲制度下での映画作りにおいて、「炭鉱のカナリア」映画は上映禁止、製作禁止のリスクを伴う。そこで、増加しているのは、「炭鉱のカナリア」映画においては、国際共同製作の多国化である。

例えば、『自叙伝』は、インドネシア、フランス、シンガポール、ポーランド、フィリピン、ドイツ、カタール との共同製作だ。複数の国々との共同製作であれば、もし母国で禁止になったとしても、他の共同製作国で、製作継続、上映&公開の可能性も見いだせる。

つまり、国際共同製作の多国化は「炭鉱のカナリア」映画のリスクヘッジと言えよう。そして、世界各国の政府が不穏になればなるほど、Purin Picturesは東南アジアの「炭鉱のカナリア」映画人達を助成する組織として、ますます重要さと知名度が増している。

少し前の記事に、「世界人口の71%が『独裁に分類される国に住む』という衝撃」があったが、世界で権威主義的な国家が増加すればするほど、炭鉱のカナリアである映画人達のリスクも高まる。例えば、東京フィルメックスのオープニング作品『ノー・ベアーズ(英題)』(2022)のジャファル・パナヒ監督は「イラン、映画監督パナヒ氏を収監 12年前の禁錮刑で」(2022年7月の記事)収監されている。

しかし、9月中旬以降、抗議デモが続くイランでは今後の映画を予想するのは難しいが、「東京国際映画祭」コンペティション部門審査委員特別賞のホウマン・セイエディ監督作『第三次世界大戦』(2022)、アジアの未来作品賞のモハッマドレザ・ワタンデュースト監督『蝶の命は一日限り』(2022)の映画からは、静かな怒りと熱気、そして、「炭鉱のカナリア」の作り手である、不屈の覚悟を感じた。

映画『第三次世界大戦』(2022)の予告

東京グランプリ/東京都知事賞を受賞したスペイン・フランスによる共同製作作品『ザ・ビースト』(2022)も、不穏さと緊張感が半端なかったが、『第三次世界大戦』はタイトルからして、不穏を通り越してもはや不吉だった。今回の「東京国際映画祭」「フィルメックス」(審査員特別賞チョン・ジュリ監督作『Next Sohee』を含めて)ともに、不穏さと緊張感が今年のキーワードかもしれない。

『Next Sohee』(2022) 予告編

「炭鉱のカナリア」としての国際映画祭

最後に、「東京フィルメックス」審査員特別賞受賞作を受賞した、ドイツ、フランス、ベルギー、カタールによる映画『ソウルに帰る(Return to Seoul)』(2022)は、韓国映画なのか、フランス映画なのか、カンボジア映画なのかと、1つの国に閉じ込めることを拒否し、国際共同製作多国化を象徴する“新しい地平の映画”だった。

1980年の光州事件を取り上げた、チャン・ソヌ監督作『つぼみ(原題:花びら)』(1996)のタイトルの由来でもある、キム・チュジャの歌「つぼみ(花びら)」(1971)が使用されていた。多国籍の新しい映画ながら、過去の韓国映画や文化が継承されていてシビれた。こういうさまざまな映画に出会える場、世界に開かれた国際映画祭はこれからの不穏な時代にこそ、貴重だと思えた瞬間だった。

映画『ソウルに帰る(Return to Seoul)』(2022)の予告

今回、国際映画祭もまた「炭鉱のカナリア」だという思いを強くした。なぜなら、Vol.2で取り上げた「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」も、2021年3月31日をもって終了してしまったし、今年の「東京フィルメックス」は例年通りの日数で開催するためにクラウドファンディングを実施した。そして、今回取り上げた「ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭」も、大統領を侮辱、国家イデオロギーを批判することが違法となる刑法改正案が国会で可決したので、3年後に施行された暁には、この映画祭が「炭鉱のカナリア」映画を集めた、今の形のまま継続できるのか疑問だからだ。

いつまでもあると思うな、「炭鉱のカナリア」映画、国際映画祭。 不穏さが立ち込めるアジアの今こそ、「炭鉱のカナリア」映画、そして国際映画祭のありがたみをかみしめる時期なのだろうと思う。

author:

坂川直也

東南アジア地域研究者。京都大学東南アジア地域研究研究所連携研究員。ベトナムを中心に、東南アジア圏の映画史を研究・調査している。近年のベトナム娯楽映画の復活をはじめ、ヒーローアクション映画からプロパガンダアニメーションまで多岐にわたるジャンルを研究領域とする一方、映画における“人民”の表象についても関心を寄せる。

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