連載「ものがたりとものづくり」 vol.7:コピーライター/「よくわからない店」店主・101

「ものづくり」の背景には、どのような「ものがたり」があるのだろうか? 本連載では、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社)、『タイム・スリップ芥川賞』(ダイヤモンド社)の作者である菊池良が、各界のクリエイターをゲストに迎え、そのクリエイションにおける小説やエッセイなど言葉からの影響について、対話から解き明かしていく。第7回のゲストはコピーライターをやりながら「よくわからない店」でオリジナル商品づくりもしている101さんです。

『3歳語辞典』

『3歳語辞典』
101さんの初めての著作『3歳語辞典』。日常の中で3歳の息子が使っていたふしぎなことばたちを父として採録した新感覚エッセイ

101さんが挙げたのは次の3作品でした。

・村上春樹『風の歌を聴け』(講談社)

・太宰治「葉」(『晩年』所収、新潮社)

・リチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』(河出書房新社)

さて、この3作品にはどんな”ものづくりとものがたり”があるのでしょうか?

純文学の世界へ誘ってくれた作家のデビュー作、村上春樹『風の歌を聴け』

──まず挙げていただいたのは村上春樹の『風の歌を聴け』。3冊の中で最初に読んだものがこちらなんですね。

101:18歳ぐらいの時までは、あまり本を読まなかったんですよ。18歳の時に、友達から『ねじまき鳥クロニクル』(※)を薦められたんです。読んだらぜんぜんわからなかったんですけど、なんかおもしろいなと思って。本を読むのも苦手だったんですけど、最後まで読めましたね。なんなのか全くわからなかったんですけど、読むのは苦痛じゃなくて。そういう本もあるんだなって。

※『ねじまき鳥クロニクル』……1994年に出版された村上春樹による長編小説。スパゲティーを茹でていた「僕」に女から電話がかかってくる。それは井戸の底まで続く長い探索のはじまりだった──。

──それ以前の小説へのイメージって、どんなものがありましたか。

101:本当に小さいころに読んだ小説っていうと、『十五少年漂流記』(※)ぐらいですね。ぜんぜん読んでいなくて。

高校の時は、ちゃんと学校に行ってなかったんですけど、クラスに居場所がないんで、何かを読んでなくちゃいけなかったんですよ。読んでいる間は話しかけられないっていうのがあったんで。だから、そういう時に赤川次郎のシリーズを読んでいましたね。読んだ小説は、そのぐらいですね。

※『十五少年漂流記』……ジュール・ヴェルヌが1888年に発表した冒険小説。無人島に漂着した少年たちがお互いに協力、時に対立しながらもたくましく生き残る。

──では、村上春樹がいわゆる初めての純文学だったんですね。

101:そうですね。本当に文章が読めなかった人間なので、断章形式っていうのが合っていたんでしょうね。ずっとつながっている物語だと読みづらくなっちゃうんですけど、この形式だと気楽に読めたんですね。

そこから村上春樹の主要作品はしばらく古い順に読んでいました。でも、ある瞬間に……『海辺のカフカ』ぐらいから全く読んでいないです。好きすぎて、読むと影響受けちゃうんですよ。なので、しばらく読むのをやめようと思って、読まなくなっちゃいました。

──それは影響を受けているなって気が付く何かがあったんですか。

101:大学に入学して、小説を書くゼミに入ったんですよ。小説を書きたいなって思って、文章を書くようになっていたんです。ゼミの講評で、村上春樹の影響を指摘されていたんです。

村上春樹を読んじゃうと、文章が村上春樹っぽくなっちゃうんですね。それが気持ち悪くなって、読まないぞって時期に入りました。

だから、それ以降の村上春樹の作品についてはわからないですね。

──18歳で初めて読んで、大学で読むのをやめたとなると、短期間にすごく読んでいたんですね。でも、その後は読んでいない。最新作も読んでいない?

101:読んでないですね。めちゃくちゃ読みたいんですけどね。でも、読んだらだめになっちゃう気がして。いつかのお楽しみにしたいと思います。

断片性に魅力を感じた、太宰治「葉」

──2冊目は太宰治の「葉」。太宰の作品は教科書に収録されていたりしますが、最初に太宰を読んだのは?

101:最初はたぶん『人間失格』ですね。18、19歳ぐらいの時でした。小学校の教科書なんかでは、『走れメロス』を読んだ気がしますけど、意識的に読んだのは『人間失格』です。

村上春樹がきっかけで本を読むようになって、「本って意外とおもしろいんだな」って思っていろいろ読むようになりました。

──それで「葉」も読んだ。どんな印象を受けましたか?

こんなに正直に書いていいんだなって思いましたね。作者が本当にさらけ出して書いている気がして、ここまで書いていいんだなって。

──村上春樹と太宰治は、作風が正反対な印象があります。

101:確かに。なんで読んだんでしょうね。ひょっとしたら、大学の授業でいろんな作品を知って、それがきっかけかもしれませんね。大学の授業では小説を読まされることも多かったですから。純文学を読む授業だったので。

──それで太宰の「葉」も読んだんですね。これは短編集の『晩年』の冒頭に収録されています。他にも作品はありますが、なぜ「葉」なのでしょうか。

101:昔から、小説のフォーマットにどうしても違和感を覚えてしまって。「葉」を最初に読んだ時に、「こんな書き方をしていいんだ」って斬新に思えたんです。

「葉」はいわゆる物語っぽい形式じゃないですよね。断片のきれぎれみたいな感じで。それがすごく気持ちよかったですね。

──村上春樹の『風の歌を聴け』も断章形式です。そういう意味では似ているのかもしれませんね。

101:断片的なものがすごく好きで、興味があるんです。断片的なもののほうがリアリティを感じるというか。人生も断片の寄せ集めみたいなものじゃないですか。断片の寄せ集めに、結果的に意味合いが生まれてくるというか。

物語性がないようでいて、断片の寄せ集めの中に物語が浮かび上がってくる感じが、自分にはすごく心地よいんですよね。

──確かに人生は断片的です。

101:自分の人生も、20代で10回ぐらい仕事を変えているんですけど、断片でぐっちゃぐちゃなんです。そういう自分の人生と、親和性があったのかもしれません。

人生って、全然つながっていないじゃないですか。でも、最終的にはなんだかつながっているような気もする。そういう断片的な書き方は好きですね。

──転職したり、会社をやめたりすると、チャプターが変わった感覚がするのは、すごくわかります。

ことばの自由さに気付かされる、リチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』

──3冊目はリチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』。ブローティガンは60年代から70年代にかけて活躍したアメリカの作家で、日本でも人気があります。

101:ある時期に、読みたい本がなくなったことがあるんです。本屋に行っても、買いたい本がわからなくなっちゃって。そんな時期に出会った本ですね。

最初に読んだのは『東京日記』(※)ですね。すごく好きになって。そのあとに読んだのが『西瓜糖の日々』ですね。ブローティガンは手に入るものはできるだけ読みましたね。

※『東京日記』……ブローティガンによる詩集。1ヵ月半の東京滞在の間に、日記のように書かれた。

──なぜブローティガンに惹かれたのでしょうか。

101:コピーライティングの仕事をしていると、ことばをすごくロジカルに扱うんです。それによる疲労もあって。そういう時にブローティガンの文章を読むと、「こんなに自由にことばを扱えるんだよな」って思い出させてもらえるんです。

──『西瓜糖の日々』はストーリーの筋はありますが、1つひとつの章はとても短いです。

101:わからないですけど、イメージの連鎖で書いているような感じがするんですよね。ことばのリズムやことば自体で世界がつくられているような感じがすごく好きですね。読んだあとに思い出せないぐらいよくわからない話だったんで、それもすごく好きです。ひとことで言えないというか。

──とてもふしぎな世界観ですよね。主人公の名前がなかったり、喋るトラが出てきたり。幻想的で、死後の世界のようにも読める。

101:この感じがすごく好きですね。ことばの組み立てかたとかもすごいですし。「なんだったんだろう」ってわからないのに、すごく気持ちいいっていう。ロジックで作られていない感じがして、自由だなって思いますね。

──ロジックから離れたいっていう願望があるのかもしれませんね。

101:そうですね。ロジックがないほうが、自然ですから。

──こうやって挙げていただいた3冊を並べてみますと、どれも予定調和から外れた小説ですね。やはりそこに魅力を感じているのでしょうか。

101:そうですね。予定調和じゃないほうが、リアリティを感じます。自分が1年後、何しているのかわからないのが自然じゃないですか。

Photography Tasuku Amada

author:

菊池良

1987年生まれ。作家。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社・神田桂一と共著)、『世界一即戦力な男』(‎フォレスト出版)、『芥川賞ぜんぶ読む』(‎宝島社)など。2022年1月に『タイム・スリップ芥川賞: 「文学って、なんのため?」と思う人のための日本文学入門』を刊行予定。https://kikuchiryo.me/ Twitter:@kossetsu

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