アート連載「境界のかたち」Vol.13 「インビジブル」のアートを触媒に社会を彫刻し続けるという挑戦

ビジネスからサイエンスに至るまで、アートの必要性を説くシチュエーションが激増している。見える世界はすぐに変わらないものの、人々の心情が変容していく中で、その心はアートに対してどう反応するのか。ギャラリストやアーティスト、コレクター等が、これからの社会におけるアートを対象として、次代に現れるイメージを考察する。

第13回は、アートを触媒にしたプロジェクトを展開し、「見えないものを可視化する」をコンセプトに活動するNPO法人「インビジブル(inVisible)」。日常におけるアートを探究し、コミュニティエンゲージメントの手法を取り入れながら、社会に変化をもたらすようなプロジェクトを展開してきた。今回はメンタルヘルスをアートの視点から捉え直すプロジェクト「MINDSCAPES TOKYO」の活動報告の会場で理事長の林曉甫と、副理事でアーティストでもある菊池宏子を訪ねた。

林曉甫
「インビジブル」理事長、マネージング・ディレクター。1984年東京都生まれ。立命館アジア太平洋大学在学中からNPO法人「BEPPU PROJECT」の活動に携わり、アートプロジェクトの企画運営を担当。2012年「混浴温泉世界」事務局長を務める。2013年に退職し、2015年にNPO法人インビジブルを設立。その他「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館」(2020)キュレーター等。

菊池宏子
「インビジブル」副理事、アーティスト、クリエイティブ・ディレクター。東京都生まれ。ボストン大学芸術学部彫刻科卒業、タフツ大学大学院博士前期課程終了。20年の米国生活を経て、2011年、東日本大震災を機に帰国。MITリストビジュアルアーツセンター、ボストン美術館、あいちトリエンナーレ2013、森美術館などでコミュニティエンゲージメント戦略・開発に携わる。

見えないものの中に価値を見出していく

――「インビジブル」はこれまでさまざまなプロジェクトを展開してきていますが、そもそもの立ち上げの経緯からお伺いできますか。

林曉甫(以下林):僕は個人で宮島達男さんのパブリックアート「Counter Void」を再点灯させるプロジェクトのお手伝いをしていて、それが「Relight Project」というアートプロジェクトになっていくんですけど、いろいろな事情でもともと運営していた団体の活動の継続が難しくなり、この事業を引き継いでほしいということになって。個人でやるのもな……と考えていた頃に、インターネットで菊池のことを知ったんです。

彼女はアメリカでコミュニティエンゲージメントのさまざまなプロジェクトを手掛けているアーティストで、面識はなかったんですけど、連絡を取って会ってみたらいろいろ共感できる部分も多かった。じゃあ法人をつくって一緒にやってみようか、という軽い感じで2015年にスタートしたんです。

ただ、特定のプロジェクトや課題のための法人ではなくて、もう少し広く継続的に社会とアートという切り口を探しながら活動していけたらと思いました。見えないものの中に価値を見出していくということで、「インビジブル」。他にも素晴らしいメンバーに恵まれて、今に至るという感じですね。

いろいろなプロジェクトを手掛けていますが、僕等はアートが触媒になって、人とコミュニケーションが生まれたり、新しい視点で発見があったり、そこから何か次のことが生まれるということに主眼を置いています。もちろん、作品やプロジェクトのクオリティを上げるということもあるんですが、クオリティの高さを目指すだけでなく、それがあることでコミュニケーションが生まれるかどうかというところを大切にしています。

時間がかかることかもしれないけれど、それを体験した人や参加した人が変化していくものにつながるかどうか。また不特定多数の人に変化を与えるのも大事だけれど、同時に1人の人生に深く影響を与えられるかどうかが大事だと思っています。

プロジェクトでは、僕は主に企画や全体のコーディネート、マネージメントを担当することが多くて、アーティストのディレクションやプロジェクトの具体的なハンドリングは菊池がやることが多いです。

――具体的なプロジェクトについてもお伺いします。地域の人達と時間をかけて協働するようなアートプロジェクトを展開していますね。

林:僕等は東京と、福島県富岡町の2拠点で活動しています。だいたい月の半分くらいは富岡町で、小中学校でアーティストインレジデンスのような「プロフェッショナル・イン・スクール・プロジェクト」(通称「PinS」)というプロジェクトを2018年から続けています。

アーティストインレジデンスは作家が制作するのが主たる目的だと思いますが、PinSもアーティストが制作をする点では同じですが、アーティストとしてではなく転校生として入学してもらうんです。日々そこで自分の仕事をしてもらい、子ども達は自由に出入りできて話もできる。そうやって子ども達や先生が、「自分の知らない世界」と出会うきっかけになっています。

これまでに、大工の林敬庸さんや、宮島達男さん、画家の加茂昴さん、大友良英さん、デザイナーの小池晶子さんが転校生としてやって来て作品をつくったり、大友さんは小学校中学校の新しい校歌をつくってくれました。クリエイティブな能力を持ったプロフェッショナルが学校にいるということで、アートやアーティストが1つの触媒となって、子ども達や先生達の価値形成に何らかの影響を与えるんじゃないかと思っています。

菊池宏子(以下菊池):もう1つ、継続的に行っているプロジェクトに「つむぐプロジェクト」があります。六本木ヒルズと森美術館が連携して六本木で展開している「まちと美術館のプログラム」の一環で、まちと一緒に歩んできた人達の思いを丁寧に拾い集めながら表現していくもので、当初から私がディレクションを担当しています。

私の役割としては、見えないものを開放するというか、見えない部分や聞こえてこない声にすごく大事な物語があると信じていて、そこを掘り下げていくことで、今まで見えなかったまちが見えてくるんじゃないかと思っています。

それは地域の人と一緒にまちの文脈を紡いでいくような活動で、そこには中心になるアーティストがいるけれど、あくまでアーティストは触媒であって、地域の人がコミュニケーションをしていくプロセスの中で出てくるものを語っていく。おもしろいのは、そうやって緩やかにコミュニティができあがってくると、必然的にアートというものを自分達の言葉で語るようになっていくんです。そんな小さな物語を紡いでいくようなプロジェクトです。

私はアートは本来、社会の中にあるべき仕組みだと思うので、このプロジェクトもそういうところがあると思っています。私達の活動は「社会彫刻」というものにひも付いているんですけど、どうやったらクリエイティブの力を発揮しながら社会をつくっていくのか。それも、大きな変化をつくるのではなくて、たくさんの小さな変化をつくることで、できることがあると思うんです。

ゴールを大きく持ちすぎると、そこに行き着くのは大変だけれど、ハグするような幸せをどうやって自分自身が生み出すのか。個人とか感情のレベルに下げて考えると、途端にやれることがたくさんあるような気がするんです。そういう人と人との関係やコミュニティをつくれたらいいなということを考えながら企画をつくっています。

コロナ禍で探究した、「メンタルヘルス」って何だろう?

――「MINDSCAPES」はイギリスの公益信託団体「ウェルカム・トラスト」が、メンタルヘルスに関する理解や議論を深めたり、根本的に問い直すような文化プログラムで、アメリカやインド、ドイツでも行われている国際的なプロジェクトですね。日本におけるパートナーとしてインビジブルがプロジェクトを一任されているのは、まさにインビジブルの活動とマッチしていると思います。

林:「MINDSCAPES TOKYO」は、ウェルカム・トラストとインビジブルが共同主催者として2022年にスタートしました。東京と富岡町を舞台に、メンタルヘルスを多角的な視点で考える対話集会「コンビーニング」と、角川ドワンゴ学園N高等学校・S高等学校のユース調査員が、アーティストとともに都市部におけるメンタルヘルスを調査する「UI都市調査プロジェクト」を展開しました。その活動報告と交流イベントとして、2月20日から28日まで、有楽町のYAUで開催したのが「MINDSCAPES TOKYO WEEK」です。

菊池:これは決して答えを出すことが目的ではなくて、いかにメンタルヘルスを語るか、根本的な解決の糸口はないか探究するというプロジェクトです。メンタルヘルスって、科学的な探究には限界があるのではないかという見方もあります。もちろんいろいろな議論はあるけれど、現代においては芸術文化の側面から考える必要があるということなんです。それはとても重要なメッセージだと思いました。

この数年は、コロナのためオンラインでプロジェクトを行った国もあるんですが、私達日本人はやはり心の話をするときにオンラインだと難しい。リアルに心がぶつかり合うような、手触りのある場所でやりたいということはウェルカム・トラストに交渉して、了承してもらいました。実際に、今回関わってくれたユースや学生達と話していると、どれだけリアルな関係を欲していたんだろうと思いました。やはりオンラインやバーチャルのつながりって限界があるんですよね。

このプロジェクトはコロナに特化しているわけではないのですが、少なくともこの数年間、誰しも心の揺らぎがあったと思うんです。そんな中でアートや文化の視点があるからこそ見えてくるものを大切にしながら、メンタルヘルスってなんだろうということを探究できればと思いました。

林:「MINDSCAPES TOKYO WEEK」は毎日会場でトークイベントをやったり、スナックというかたちで交流会を開いたりしたんですが、このプロジェクトで僕等がやってきたことや考えたこと、それをここで見たり体験してくれた人達が、自分自身にとってメンタルヘルスってなんだろう?って考えてくれることが大事だと思っていて。世界の25%の人がなんらかのメンタルヘルスの問題を抱えているという時代において、75%の人が「自分に関係ないこと」ではなくて、そういう人が近くにいるかもしれないとか、人の痛みを想像できるかということが重要だと思います。

コンビーニングでは、「アートプロジェクトやミュージアムがメンタルヘルスクリニックになりうるのか」という問いを立てて、答えを出すということではなく、いろいろな職種の専門家達と議論を重ねました。プロジェクトとしてはいったん一区切りですが、議論の中ですごく重要な言葉も出てきたし、そこで出たアイデアやコンセプトを今後どう実践していくのかということは継続していきたい。社会の中でアートをどう機能させていくかというのが、われわれが考える1つの責務だし、チャレンジだと思っています。

「社会彫刻家」が生まれるような活動

――そもそも、どうしてこういう活動を始めるようになったのですか。

林:僕はそもそも美大出身でもなくて、アートに関わるようになったのは偶然でした。どちらかというとまちづくりや、地域がどうしたらよくなるかということを考えていて、例えばつぶれそうな温泉旅館の前でテンポラリーなカフェを開いて話題づくりをしたり、いかに自分達が媒介となって社会に変化を与えたりするかということばかりやっていたんです。そのときにアートというものを知って、自分がやろうとしていたことをもっと違うかたちでできるんじゃないかと思いました。

僕はアートにもアーティストにもすごくリスペクトを持っていて、軽々しくアーティストという言葉も使いたくないんですが、アートがもっと身近にあったらいいし、みんな何かクリエイティヴなことをやったらいいと思うんです。

例えば草野球をやっている人にはプロ野球選手は憧れの存在ですよね。だから「MINDSCAPES」に参加したユース達のように、アートに関わることで、アーティストって作品だけじゃなくて考え方も含めてすごい人なんだと思ってくれたら、もしかしたらその中から後世に名を残すアーティストが生まれてくるかもしれない。それは必ずしもアーティストではなくても、整備工かもしれないし、主婦かもしれない。ヨーゼフ・ボイスが言う「社会彫刻」というのはそういうことかもしれないと思います。

菊池:私自身はずっとアートの世界で生きてきたんですが、もともとコミュニケーションが得意ではなくて、実は林とは真逆。そんな人生を生きてきた中で、答えのないことをやっていいよと言われて救われたんです。私はアートがないと生きていけない。アートは社会に必要だけど、私1人だけでは何もできないので、コミュニティや創造性というものに期待してくれる人を1人でも多くつくっていきたい。そうでないとアートなんて権威的になっていくばかりでおもしろくない。アートがもっと多くの人にとって身近な存在になってくれるといいなと常に思っています。

――「MINDSCAPES TOKYO」を経て、今後の「インビジブル」の活動はどうありたいですか。

林:具体的なことでいうと、これまで「PinS」はアーティストに作品を1つ残してほしいとお願いしているので、10年やれば10作品できますよね。福島の浜通り全体が1つの美術館のようになって、それをめぐる展覧会のようなことができたらいいなと思っています。どんなルートで作品や場所に出会っていくのかを設計して、1つのメタファーといえるような体験をつくれたらと思っています。

今回のプロジェクトをやってみて個人的に思ったのは、こういう発表の仕方も含めて、“現代美術”みたいなところからどんどん離れていくようなやり方でアートを考えたいということ。コンビーニングでアーティストの飯山由貴さんから、「アート」の訳を芸術や美術だけではなくて「表現」という言葉で捉え直したらという提案があったんですが、表現ということからできることがあるんじゃないかなと思います。

僕等の存在は触媒のようなもので、いろいろなところに水を撒いていくようなことになったらいいなと思います。願わくば、プロジェクトに関わったアーティストが、あそこでやったプロジェクトは作品だけじゃなくてコミュニティも含めて自分の代表作の1つだと思ってくれたらいい。それは僕が思い描くアーティストというものに対して、何か貢献できたということかなと思います。

Photography Hiroto Nagasawa

author:

榎本市子

1974年東京都生まれ。エディター/ライター。テレビ誌編集部を経て、ローカルを扱うウェブメディア「コロカル」編集に携わるほか、映画、美術などカルチャー分野で編集・執筆。アートとサッカーを見に国内外を旅するのが生きがい。

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