シューゲイザーを代表するバンド、ライドが語る「創作の源泉」——アートやカルチャーからの影響

ライド(RIDE)
マーク・ガードナー(G,Vo)、アンディ・ベル(G,Vo)、ステファン・ケラルト(B)、ローレンス・コルバート(Dr.)の4人で結成され、英クリエイション・レコードから1990年に1月に「Chelsea Girl」を含むEP『RIDE EP』でデビュー。同年10月に待望のフル・アルバム『Nowhere』をリリース、1992年2ndアルバム『Going Blank Again』、1994年3rdアルバム『Carnival of Light』をリリースしたが、1995年4thアルバム『タランチュラ』の発表を待たずに、グループは解散を表明。2014年に再結成し2017年にアルバム『ウェザー・ダイアリーズ』を、2019年に『ディス・イズ・ノット・ア・セイフ・プレイス』をリリースした。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(My Bloody Valentine)、スロウダイヴ(Slowdive)と並ぶ「シューゲイザー」の伝説的バンド、ライド(RIDE)。先日行われた4年ぶりの来日公演では、彼等の代表作『Nowhere』と『Going Blank Again』を“再現”する特別なステージを披露。さらに、初期のベスト盤『OX4_ The Best of Ride』で構成された追加公演が行われたほか、未発表の新曲(“Monaco”)も演奏されるなど、今回のジャパン・ツアーは今年で結成35年を迎える彼等のキャリアを祝するような特別な機会となったのではないだろうか。

そんな彼等の始まりは、1980年代の終わり、4人がバンドを結成するきっかけの場所となったイングランド・オックスフォードシャーのバンベリーにあるアートスクールでの出会いにさかのぼる。例えば4年前のアルバム『This Is Not A Safe Place』では、ロンドンのバービカン・センターで見たバスキアの展覧会がインスピレーションの1つに挙げられていたが、彼等がこれまで音楽に限らず映画や小説、美術作品などに対して広く関心と造詣を示してきたことはファンの間で知られたところ。「カッティングエッジな存在こそが未来を創る」と語るドラムのローレンス・コルバート。かたや、スタイルよりも「感情を伝えること、それにふさわしい言葉を探すことが大事」とリリシストとしての流儀を説くヴォーカル/ギターのアンディ・ベル。今回のインタヴューでは、そんな2人が触れたり影響を受けたりしてきたアートやカルチャーの話題を通じて、ライドというバンドの創作の源泉に光を当ててみたい。

10代で影響を受けた作品

——昨晩(4月19日)のショーは『Nowhere』の再現ライヴということで、ファンにとって特別な一夜になったと思います。お2人にとっては、当時の曲を演奏することの醍醐味、あのアルバムの色褪せない魅力はどんなところにありますか。

ローレンス・コルバート(以下、ローレンス):自分達がもっと若かった頃、つまり18歳の少年だった頃を思い起こさせてくれる。その時の自分がいかに弱くて繊細だったか、また、どんなふうに物事を経験していたかを実感することができる。年齢を重ねて、より多くを学び、いくらか物事をコントロールできるようになった状況でそれを体験できるのは素晴らしいことだと思う。ティーンエイジャーの経験というのはとても強烈だからね(笑)。あの頃の感情や気持ちを、今だったらもう少し理解してコントロールできるような気がするんだ。

アンディ・ベル(以下、アンディ):今振り返ると、あのアルバムのトラックリストや内容に関していえば、我ながら大胆な決断をしたと思う。ただそこには、ある種の脆弱さ、傷つきやすさというものがあった。そしてその脆弱さや傷つきやすさとは、ある意味、勇敢さの裏返しでもある。誰しも何かを始めるという時には、そうした種類の勇敢さが必要なんだ。だからこそ、長く続けていくうちに得られるものもより多く、大きくなったんじゃないかな。

——今ローレンスさんから「ティーンエイジャー」という言葉が出ましたが、ライドを結成する前はメンバーの4人ともバンベリーのアートスクールに通われていたんですよね。

アンディ:そう、僕とマーク(・ガードナー)、スティーヴ(・ケラルト)の3人はもともとその前に同じ学校に通っていてね。だから一緒によく遊んでいたんだけど、ただ、何かを真剣にやるという感じではなかった。それでアートスクールに通うようになり、今の4人が1つになった。学校を卒業する頃にはすでにいくつかのショーに出演し、〈Creation Records〉に拾われるまではあっという間だった。というか、6、7回くらいしかライヴをしなかったんじゃないかな。当時はレコード会社なんてものもよくわからなかったし、とても不思議な感覚だったね。

——その当時、音楽以外で影響を受けたり、夢中だったりしたアート作品はなんでしたか。映画や小説とか。

アンディ:『ベルリン・天使の詩(Wings of Desire)』かな。

ローレンス:『長距離ランナーの孤独(The Loneliness of the Long Distance Runner)』も好きだったね。

アンディ:ヴィム・ヴェンダースのモノクロ映画だったり、あとはデヴィッド・リンチの映画にも影響を受けていると思う。

ローレンス:『ワイルド・アット・ハート』とかね。でも、もっと広い意味でのアートやカルチャー、つまり自己表現をしている人達の作品に僕達は共感したり惹きつけられたりしてたと思う。多くの場合は単なるいちファンとしてね。例えばマイ・ブラッディ・ヴァレンタインにしても、そのサウンドに限らずアートワークやジャケットが本当に好きだった。当時、ストーン・ローゼズがジャクソン・ポロックを模したアートワークを手がけたのも大きな話題になったよね。そう、だから(影響を受けたり夢中だったりしたものは)たくさんあるので、1つや2つを選ぶのは難しい。ただ4人の間には、同じようなモチーフやインスピレーション、参照点を共有する、ある種の繋がりがある。そして、そうした繋がりの中で、何か新しいことをやりたいという思いで僕達は1つになっているんだと思う。

アンディ:僕達がやった初期のインタビューの1つで——確か「Melody Maker」だったと思うけど、その中で映画や本のタイトルとか、つまり僕達の文化的参照点(cultural reference points)をリストアップする企画があってね。当時、そんなふうに僕達はお互いの間でそのようなことをよく話していたんだ。あれは本当に楽しかったな。

歌詞は「自分の感情を説明できるか」が1番のポイント

——お2人は歌詞も書かれますが、例えばリリシストとして影響を受けた作家や小説などあったりしますか。

ローレンス:これが僕達のやり方だとしか言いようがないのだけど——つまり1番のポイントは「自分の感情を説明できるか」ということなんだと思う。自分の気持ちをどう表現するか、さらに詩的な表現ができるかどうか。だから作家を並べて、「このスタイルが好きだからこっちにしようかな」とか「こういう路線で行こうかな」とか考えることはあまりない。ただ、自分自身を本当に表現する方法を見つけようとしているだけなんだ。確かに、“参考文献”となるものが何かあれば助けになった部分もあったかもしれないけど、バンドを始めた頃は何もない状態だったからね。それよりも、どうすれば自分の中から引き出すことができるか、できれば詩的なアプローチで、“叫ぶ”ことなく可能な方法を——そんなことを考えていたね。もちろん、後になってリスペクトする作家に出会ったりもしたけど、でも創作のプロセスにおいては、むしろ感情の面で対処することを大事にしてきたかな。

アンディ:いい質問だね。僕の場合、サウンドに関していうと、他の誰かのスタイルや影響を取り入れることもある。でも歌詞に関していうと、「スタイル」というものにあまり意識的ではなくて。ただ感情を伝えることに注力し、それにふさわしい言葉を見つけることが大事なんだ。たとえ歌詞の「スタイル」が最悪でもね。だからそこに余計な誰かの影響が加わるということがあまりないんだと思う。

——なるほど。

ローレンス:ふと思ったんだけど、もしかしたらアラン・ワッツのようなタオイスト、道教(タオイズム)の考え方に共感している部分があるのかもしれない——変なことを言い出すようだけど。だから「Nowhere」の歌詞は、どこか荒涼としていて、空虚で、ある意味、とても魅力的なんだと思う。一見、単純そうに見えるけど、言葉以上の何かを言おうとしている、というか。アンディ・ウォーホルの会話に通じるというか、ある種の哲学的な雰囲気を共有するような、禅的なアプローチと似ているかもしれない。ただ、決して意図的ではなく、あくまで無意識的に、気づいたらそういう形になっていたというかね。

——興味深いですね。

アンディ:そう、僕もちょうど、歌詞が好きで、インスピレーションを与えてくれる人を考えていたんだけど……それは例えばロバート・スミス(ザ・キュアー)みたいな人なんだと思う。なぜなら、彼の言葉には傷つきやすさがあって、とても甘美で、オープンで、誠実で、シンプルなラヴソングだから。そんな彼のまっすぐなアプローチが、僕にとってはとても魅力的なんだ。それってまさにローレンスが言ったように、多くの言葉を使わず、簡潔な言葉で表現することを大事にするっていうことなんだと思う。

「カッティングエッジな存在こそが未来を創る」

——ところで、ローレンスさんはバンドが活動を休止していた時期に大学に通われていたそうで、博士号を取得中という記事を読みましたが。

ローレンス:そうだよ。

——どんなことを学ばれたんですか。

ローレンス:音楽についてだよ。僕は今でも音楽が大好きで、だから大人になってからの楽しみとして(笑)、違うアプローチをしてみたくなって。理論的なところも含めてすべてね。それで結局、コンテンポラリー・アート・ミュージックを専攻して、現代音楽の作曲からレコーディングまでを修士課程で学んだ。おかげで音楽に対する自分の考えを広げることができたと思う。

——その経験や知識が再結成後のライドの活動に活かされた部分もありますか。

ローレンス:そうだね。例えば『Weather Diaries』(2017年)を作った時には、たくさんのアイデアを共有して、フィールド・レコーディングのようなものを取り入れたりもした。ポピュラー音楽の枠にとらわれず、もう少しコンテンポラリーな作品にも手を伸ばせるような、幅の広いインプットができたのはとてもよかったと思う。あと、クリスチャン・マークレーにインスパイアされたギター・ジャムをやってみたり。ソニック・ユースがコンテンポラリー・アーティストと共演した『Goodbye 20th Century』(1999年)のように、僕等もそれに触発されて演奏してみたんだ。あのアルバムはすごい作品で、ピアノを破壊したりしていたよね(笑)。

——(笑)僕も大好きな作品です。

ローレンス:僕等が子どもの頃に好きだったバンドの1つが、ソニック・ユースだったんだ。ソニック・ユースは、僕等が“この世界”を認識し、その世界とつながりを実感できるきっかけとなったバンドだった。彼等の音楽を初めて聴いた時、本当に心の底から感動したことを覚えている。だから、僕等も彼等と同じようなことをいくつもやったよ。ある意味、カッティングエッジな存在こそが未来を創るものであり、時には本当にクレイジーで危険なことをする人達がいて、それが後に大衆文化として定着することもある。誰かがワイルドなことをすることで、アートやカルチャーは新鮮さを保つことができるんだよ。

——ちなみに、アンディさんは昨年、2022年のリリース作品を振り返る記事の中で、バーナ・ボーイの「Last Last」を挙げられていたのが印象的でした。

アンディ:カーニバルの様子を伝えるツイートで知ったんだ。それが信じられないような盛り上がりでね。サウンドシステムを使って、1000人以上の人々が路上であの曲を歌っている映像だった。僕はあらゆる音楽に詳しいというわけではないけど、その中で自分の感性に引っかかる曲というのがある。あの曲はメロディーに惹かれたのがきっかけで、歌詞も面白い。Googleで調べたら、彼がマリファナやアルコールについてどう考えているかがわかるよ(笑)。

——アンディさんはバンドとは別にDJをしたり、ソロでエレクトロニック・ミュージックを制作されたりもしています。そうした視点から、いわゆる欧米以外のポピュラー・ミュージックやビートに惹かれる部分もあるんじゃないですか

アンディ:そうだね、僕はどんな音楽も楽しめると思うよ。

Photography Takuroh Toyama

author:

天井潤之介

ライター。雑誌やウェブで音楽にまつわる文章を書いています。 Twitter:@junnosukeamai

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