#映画連載 モーリー・ロバートソン Vol.3 時代の大転換を妄想できる3作品 ―『マッドマックス』編―

映画鑑賞は動画配信サービスの普及によって、もはや特別な行為ではなくなり、感想の共有やレコメンド検索も簡単になった。しかし、それによって映画を“消費”しているようにも感じる。本連載では、映画を愛する著名人がパーソナルなテーマに沿ったオススメ作品を紹介する。

タレントのモーリー・ロバートソンによる時代の大転換を感じさせる映画の第2弾。メディアを中心にコメンテーター、DJ、ミュージシャンの他、国際ジャーナリストとしても活躍し、政治・経済からサブカルチャーまで、いくつもの引き出しを持つ彼がコロナ禍の今だからこそ、見るべき映画を紹介。

時代の大転換を感じさせる映画の2作品目は、『マッドマックス』です。こちらの作品も『ジョーカー』同様シリーズ化され1970年代の終わりから1980年代までに3作品が発表されましたが、どれも「メガトン級の核戦争が起きたら人が100万人単位で死んでしまう。そんな世の中に生きる人達は一体どうしたら良いんだ!」という問題をジョークのように描いていたんですよね。僕は、今そんな映画さながらの状況がもう目の前に迫っていると感じます。「よっしゃ、もうそろそろ!」と、あってはいけない期待感さえ抱いています。

それは新型コロナウイルスが世界中に蔓延したこともそうですけれど、少子化問題とか難民や移民問題とか世界情勢に鑑みてもそう思える。もしかすると、世界の国の均衡が崩れて、ウワーッとまるでローマ末期のゲルマン民族大移動のようなことが起ってしまうのではないか。そういう状況の一歩手前にいるような気がしてならないんです。一方で4作品目の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では『ジョーカー』で感じたのと同様に、これからの未来に希望を感じさせられもしました。同じ名前のついた作品でありながら、過去のテーマを継承しつつ世の中の課題をあぶりだした秀作なのです。

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ブルーレイ ¥2,619(税込)/DVD ¥1,572(税込)

発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント

販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント

Ⓒ2015 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED

登場人物全員が自分の正義だけを信じる世界に感嘆

1作品目の『マッドマックス』(1979)は核に恐れている時代。3作目の『マッドマックス サンダードーム』(1985)では核戦争が起きてみんな死んだらどうなるのか? という恐怖を感じさせる作品でした。まだ当時はバブル期で、豊かさの中で生活保守が進んでいる時代。トランスジェンダーに対してもまだ偏狭な考え方で、「個性的な格好をしていても、少しであれば晩餐館に入れてあげるよ。だから頑張りなさいよ」という時代でもあったんです。それが、27年を経て公開された4作目にあたる『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)では多様性の時代になり、サイエンスフィクションが多少描かれているものの、ある種のリアリズムを追求した、ほぼ女性が主役の物語に変わっていました。サンダードームの頃の“普通と普通じゃない人”が時代を経て入れ替わっていて、ミレニアル世代がすんなり受け入れられる世界として描かれています。

それはかつてマイノリティだったものが現代ではメインストリームになっている証拠で、美しさの価値も多様化していることを指しているんですよね。そして、それぞれに正義がある描き方をしているから、今作の悪役として登場したイモータン・ジョーにさえ感情移入できる。人権もなく、ただ、子どもを産ませるためだけの存在として女性を扱っているのに、自分の子どもは命に代えても守りたいという気持ちってすごいなって思えるんですよね。生きることに一生懸命だけど、映画が始まった瞬間に善悪がなくなるという描き方も秀逸ですよね。サバイバルと愛の物語なんだと思うと、こんな混沌とした世界観の中でも生きる意味を見出せたような気持ちになるんです。

恐怖を超えたところに彼らの正義と喜びがある

中でもひらめきがあったのは、シルバーのスプレーを口元に塗って「私は輝いている!」と死に向かうシーン。これって普通だったら全く考えつかないような演出ですけど、宗教がなくなった時に、それに代わる神秘的な儀式のようなものを相当研究して生み出したのではないかと思っています。かつて、外部と接触のなかった人々が暮らす島に飛行機が貨物を落としてしまうと、落ちたものが例えコーラの瓶だとしても聖なるオブジェとしてまつりあげられるという事例ってたくさんあったんです。外界と接触してしまったらなくなってしまうけれど、すべてが完結した島の中に不純物が1つ入り込むだけで、それが宗教心になってしまう。たまたまあったシルバーのスプレーを吹きつけると顔が輝いて不死身を意味するとか。

そういう解釈をすると、例えば今ホームセンターで売っているような商品が断片化して文明がなくなると魔法のオブジェにさえ映ってしまうということでもある。つまり日常の退屈は、実は退屈でもなんでもなく、一歩先には考えられない可能性を秘めているという伏線でもあるんじゃないですかね。

悲観的ではあるんだけど、そこに生きる喜びのようなものを感じてすごく元気になれる。イモータン・ジョーのところへ行くぞ! なんて一見恐怖に支配されているようなシーンも、実は口元にスプレーを塗ることがトリガーになってすべてが手放しになり、この上ない喜びを感じていると思うんです。

本当の強さとは何かを教えてくれるような気がする

そもそも物語は、すべてが破綻している状態で始まっています。観客には冒険の先に清々しさを感じられる人と、怖いから早く終わってほしいと思う人に二分されるのではないですかね。清々しさを感じられる人の方が今の時代は圧倒的に強い。自分を守ってくれるものは少なくなるけど、戦う人は報われるという動物的な力がみなぎっている証拠ですからね。案ずるより産むがやすしということわざがありますけれど、“案ずるより壊すがやすし”で、すべてを手放して向こう側に行けたらそれはそれで良いんじゃない? というメッセージを暗示しているのは、前回紹介した『ジョーカー』と同じ。

災害やコロナで貧富の差が生まれた時に、誰か強い人に守ってほしいと現代人がこれからすがれるものってなんだろうと考えると、究極は血筋なんじゃないかなって思います。ずっとそこにいてくれるという揺るがない安心や目に見えないパワーは心の聖域にもなり得ますから。でもやっぱり、映画同様崩れかけている今の世界をサバイブするためには、すべてを手放せる人の方が強いですよね。登場人物のように自分だけの正義を胸に、いろいろ壊して突き進んでみてこそ、全く新しい未来を見ることができるんだとこの映画は教えてくれているような気がします。

Edit Kei Watabe
Photography Teppei Hoshida

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モーリー ロバートソン

日米双方の教育を受けた後、東京大学とハーバード大学に現役合格。ハーバード大学を卒業後、メディアを中心にタレント・ミュージシャン・国際ジャーナリストとして幅広く活躍中。現在、日本テレビ「スッキリ」にレギュラー出演。著書「悪くあれ!窒息ニッポン、自由に生きる思考法」(スモール出版)も好評発売中。 Photography Kazuyoshi Shimomura

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